『越えていく人 南米、日経の若者たちをたずねて』 神里雄大 (亜紀書房)
最近読んだ本の影響なのか、自分が欲しているのか、旅に出て偶然の出会いから色々感じとる系の本を読む機会が多いです。『ひかりのあめふるしま屋久島』や『しゃにむに写真家』、『旅に出よう』、等々。よく考えてみると、それ以外も好きだった本はセレンディピティ(偶然を呼び寄せる)がエッセンスになっていることが多くて、なんかあるのでしょうかね。とにかく、今回もそんな感じでフラッと手に取った本になります。
著者の神里さんのバックグラウンド(ペルー生まれ、日本育ち、血筋は沖縄)にまず興味持ったのと、著者が劇作家、舞台演出家というのにも惹かれました。
引越し族で育った自分は、出張先や旅先でもし自分がここで育っていたら、今働いていたら、と想像することが好きです。
生まれ故郷や両親のルーツには住んでいないので、もしそこで育っていたら、今住んでいたら、と考えるのは今は楽しいのだけれど、昔は親戚とも話が合わないし、人にも説明しずらいし、何しろ自分の背景が分かっていない感じがして少し寂しかった記憶があります。
著者もペルーにおばあさんがいて、ペルー生まれなのに、ペルーについてのパフォーマンスで語れることがあまりないことに気づいた悔しさ、そしてもしペルーで育っていたらという憧れの気持ちもきっかけで、旅にでます。
そして、ペルーに始まり、出会った人たちから紹介された人たちを辿って、南米各地の日系の若者たち、またその家族の話を聞いていきます。
著者は、演劇作品にいろんなところで出会った人と話し、聞いた話を生かしているそうで、そういったパーソナルな経験(本の中でも「人に話を聞かせてもらうことは自分にとって恥ずかしいことだからだ。人の話を聞くことは自分の手の内を明かすことのようでもあるように感じる。[中略] ぼくと相手とのあいだだけにしまっておきたい気持ちがある」とあった)を噛み砕いて、なんとも言葉にしづらい部分を芸術として表現されていっているのかな、と想像しました。
そんな著者だから、若者と話しながら内省したことや(誘導してしまっているんじゃないか、とか)、発言への反省、また自分の思いの確認、思い込みに対する自己批判などが文章にされていて、なんというか読んでいて、一緒に考えてじわーっと癒される感じがしました。
出会った若者たちの言葉にもはっとさせられました。特に、自分の日系という立ち位置も理解しながら外の世界を受け入れていきたい明さんと、ボリビアと日本の両方の目線で考えれるホセさん。
自分の基準もあるけれど、「いっぱいスイッチを持っている方がいいと思う」というのは、いろんな環境や人のペースに合わせることもできること。
どちらがいいとか悪いとかではなくて。その考え方は好きだなと思いました。
もっとオープンに、自分の感覚に素直に、偶然の出来事を楽しみに、旅に出たい!
今なかなか旅には出れないから、まずは日々の心持ちから、ですかね。