いびつな性別適合手術の暴挙

こんにちは。Dです。


以下のアベマTVによるYoutube動画を見て改めて真面目に考えなければならないと感じて記事を書くことにしました。

性別再変更】「男性になりたかったはずなのに…」手術後の違和感で性別を再変更した当事者の想い【性同一性障害】【LGBT】


ずいぶん前に書こうと思ってそのままにしていました。

今日は時間もないので簡潔に書こうと思います。

精神と肉体を2つに分けた時に、精神を優位とするのは人間だけです。
他の生き物は全て肉体的制約が優先されます。

いくら自分が馬だと思っても、猫は馬ほど大きくはなれないし、馬がどれだけライオンに憧れても、ライオンになることはできない。


これは至極当たり前のことです。

ここ10年で潮流も変わってきたのですが、例えば肉体的に男である人が自身の性別に違和感を持っていたとして、だから自身の政治人は女であるというのは全くの間違いです。


ジェンダーが生得的なものでないとすれば、自身が女性であるという定義づけもまた社会的に獲得したものにすぎません。しかしそこには肉体的な制約があるのです。男性の肉体を持っていれば、社会的に形成された男性感を持って当然ではないでしょうか。

こういうと批判されるとは思います。しかし、社会的に形成される男性像も時代によって変わっていきます。


肉体的な制約の上でいきているのですから、その上で価値観を変えていけばいいではないですか。


肉体というものの価値を無視するのは、やはりキリスト教圏に多いですね。

これは言いがかりでもなんでもなく、肉体の世界は悪魔が司り、精神的で道徳的な世界は髪が司ると本気で考えているからです。

リベラルな価値観が西洋から生まれるというのは宗教的な影響であると言えるでしょう。

少なくとも、自身の性自認に苦しんでしまう人が生まれるのは事実です。

ジェンダーと言って多様な型を作るのではなく、男女の二元的なカテゴリの外に、アンビバレントなサードパーティが存在すると考えればなんの問題もないのではないでしょうか。

安易に多様性を認めるのは百害あって一利なしです。

以上。



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