
ハラスメントストッパー<トラちゃん 備忘録>
人は人として大事にされるべきである
1.リハビリの理念
「リハビリテーション」とは何か。
医師の上田敏先生(リハビリテーション医学)は、
障害者のリハビリテーションとは決して単なる訓練のことではなく、障害のために人間らしく生きることが困難になった人(障害者)の「人間らしく生きる権利の回復」、すなわちその「全人間的復権」であるととらえるべきものである。
と述べています。
ハラスメントストッパーのお話は、自分の職場であるリハビリ科での出来事から 始まりました。
大事な同僚・トラちゃんに向けられた、ポニー先生とリボン先生の行き過ぎた指導は、自分には到底受け入れられませんでした。
お二人なりの 意見があったとは思いますが。
リハビリ職に就きながら、
上田敏先生が示された上記のリハビリの理念から程遠いことが行われているとしか思えませんでした。
たとえ、障害を有していなくても、ハラスメントに遭っている時点で弱者なのです。
2.「人は人として大事にされるべきである」
他のスタッフも、恥ずかしながらハラスメントが始まった当初の私も、その様子を見て見ぬふりをしていました。
これは何かおかしい。
自分はもやもやして、他のスタッフもその場の居心地悪さを感じているのではないかと思って、言い分(いいぶん)を聞きました。
「自分だって厳しい指導を受けていた」、「辛いときを乗り越えて成長できた」などと言って、トラちゃんの辛さを受け止めていないかのように見えていました。
スタッフの意地が悪いのではなくて、同調圧力というのでしょうか。
その集団の中のより強い主張に 押されて流されてしまって
何か大切でシンプルなことが、著しく欠落していると思いました。
すぐに頭に浮かんだのは、
「人は人として大事にされるべきではないのか」
こんな単純なことでした。
3.ただ強めの意志、ささやかなことであっても
ポニー先生、リボン先生を初め、スタッフは、
「自分はもっと厳しい状態でも頑張って耐えた」
という武勇伝を披露したり、
「指導という立派な行いをしている」
と正当化したり。
リハビリ科の歪んだ正義感の中でトラちゃんを守るには、自分の意志が必要でした。 ただひたすらの、強めの意志でした。
叱責された後に落ち込むトラちゃんに、スタッフは声をかけにくい様子でした。 「そっとしておこう」でしょうか。
自分は時間を空けずに声をかける、
トラちゃんへの連絡漏れがないか確認する、
リハビリ技術のサポートは分野が違うのでできませんが、居心地悪くさせないことなら少しくらいできるかも、これを絶えず行うこと、
トラちゃんが気負わない(つまり感謝しないように)、ささやかでほんの小さなことを続けるだけでした。
それはスタッフには、「めのす丸のえこひいきや甘やかし」に見えたかもしれません。
4.常識に合わせていたら守れない
しかし、人の痛みに疎くなってしまったスタッフの中で、もはや常識や職場のルールなどに従っていては守ることなどできないと思いました。
自分が譲れないことは、ごく単純なものは、
冒頭の「人は人として大事にされるべき」でした。
大事にするというのが、どういうことなのかよくわからず、思いばかりで、突っ走っていました。
5.自分という土台
最近になってやっと、自分を大切にしないとハラスメントから守れないと思うようになりました。
自分という土台をこしらえて、安定感を持つこと。
自分にとっては なかなかハードルが高いことですが、
守ることに没頭してばかりでは隙だらけ。
自分が空っぽなことに気づくことも度々ありました。
6.その人の熱意
自分がトラちゃんを守りたかったのは、
ハラスメントに遭ったことがかわいそうだけでは ありませんでした。
トラちゃんの患者さんへの熱心さと、技術向上への熱意を知っていたからです。
「僕、頑張ります」でごまかさない。
ハラスメントに遭おうとも、
トラちゃんは自分のリハビリの腕をアップデートさせることに、妥協は少しも見せませんでした。
現前のリハビリ科に欠けていて 必要なことを体現しているのがトラちゃんだと思いました。
今回、ここまでです。