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失語症文化論仮説La hipotesis sobre la cultura de personas con afasia 7章 「わかったふり」気遣い・支配 シナリオ編 前書き
本章は、失語症者が伝えているときにわかったふりをすることに対する検討から始まった。わかったふりをすることが、気遣いだとは安易に収まらない。日常に馴染んだことであり、支配になりうる。
自分が言っていることが失語症者に伝わっていないことを受け入れることは、むしろ「相手に合わせた伝え方を探る」ためのきっかけとなるであろう。
しかし、相手に伝わらないことは虚しい。筆者が自身も含めて観察する限り、相手に伝わっていないことを受け入れることは容易ではないことが明らかである。
ある病院職員が、入院中の失語症者に言ったこと、例えば入浴時間や薬の説明などの形式的な内容ですら伝わっていなかったとする。その場に居合わせた同僚に「あの患者さんって、こちらが何を言ってもわかってない」とつぶやく。
失語症者のことを「わかってない」と言っているが、自分が伝えられなかったことは素通り、通り過ぎ、見過ごして埋没するのではないだろうか(注1)。
ここで、筆者は失語症者との伝わらなさを受け入れられない人々を埋没させてはならないという思いに駆られた。
下図(図1)は1章で図示した。
図1(1章より)
図2の「失語症者(注2)」のことが知られていない現状に注目し、埋没させないことを提案する。
図2 失語症者の現状を埋没させない
3章で演劇を通して失語症者との「伝える・伝わる」を考えることを提案した。次節では、演劇を通して失語症者のことを失語症者のことが知られていない現状に着想した、シナリオを提示する。
(注1)失語症者が世の中に知られていないことは、本論1章で述べた。筆者は筆者を含む言語聴覚士の課題として捉えている
(注2)障害名である「失語症」から“相手”としての「失語症者」に変更した