ハラスメントストッパー <看護大学での講師のバイト> 連載7回目
7.紫陽花が咲いて ④
職場では、「患者さんのケアには職種間の連携が必要」とは言われてました。
それが「互いの歩み寄り」なのか、 「誰かに任せきってしまって知らぬふりをするという ‟分断”」なのか、 その場その場で「連携」の意味が変わっていたように思います。
講義資料の項目に「連携というの思い込みのワナ」を設けて、 いくつかの読書メモから引用しながら、講義資料を作りました。
その中でも図書館で借りたことがある2冊の本、
「手紙社のイベントの作り方」と「弱いロボット」に助けられました。
・「手紙社のイベントの作り方」
長い引用になりますが、
この記述は、
当時の自分の所属科でのハラスメントへの対応と被ります。
科内の誰かがハラスメントを止めてくれると期待している限り、ハラスメントは止められない。 だから、自分が止める手立てを探して、自分が行動するものだと思っていました。
この「手紙社のイベントの作り方」は、上に挙げた骨太の記述と、かわいい表紙のギャップが絶妙でした。
・「弱いロボット」
誰かに何かしてほしいことがある場合。 それは、相手への依存なのか、相手を支配したいのか。
当時の自分の職場では、嚥下障害を持つ患者さんを担当している時の連携を損ねる原因にもなっていたと思います。
この本も、ロボットの写真がとてもかわいいです。 手に取って読んでみたくなります。
それでは、本の内容のことです。
例えば、ある患者さんの食事介助方法を看護師さんに伝達する際、看護師さん同士の申し送りであれば、業務スケジュールに「申し送り」の時間が確保されています。
しかし、自分が伝達するときは、看護師さんがあまり立て込んでいる時は伝えられません。 話しても大丈夫そうなタイミングを見計らって、やっと伝えられたと思ったら、看護師さんから「もっと字を大きくしてほしい」、「写真を入れてほしい」など要求事項が増えてしまうのが常でした。
同じようなことが、ハラスメントを止められなさにも生じているように思いました。
ある同僚から「ハラスメントを止めさせたいなら、本人(ハラスメント被害の当事者)を相談窓口に向かわせないと」と言われたことがありました。
その人は、良きアドバイスを提案したかったのかもしれませんが、自分への要求事項が増えるように感じました。
ところで、同僚から言われるよりも前に、「相談窓口に行くという手段がある」と伝えたことがありましたが、行きませんでした。
もし、自分がハラスメントの渦中にいるとき、
「ハラスメントに遭っている」と誰かに言えるでしょうか。
このことは、以前の記事にも書きました。
本人(当事者)に目には見えない「口止め」がかけられてしまう。
ことばの自由がなくなる。
ハラスメントの恐ろしさを、大事な同僚を通して知ってしまいました。
(続く)