見出し画像

おうち(汚家)

12年前に伯父が亡くなって、今年は伯母が亡くなった。

12年前の伯父の二七日法要のときに、家を訪問した時
「相変わらず散らかってんなぁ」とは思っていた。
「片付ける」という概念はないのか、ここの家人たちはそういうのが気にならないたちなのだ。
その当時の私も、片付けが苦手で汚部屋おへやの住人だった。
その当時の私でも、うわぁと思うぐらいの荒れようなのである。

当時は「散らかっているぐらいが落ち着くわ~」なんて宣って片付けない理由にしていたけど、今は違う。
片付いていないと落ち着かない。
埃が許せない(笑)




それを踏まえて。
伯母の二七日法要のために、10年ぶりぐらいに再度訪問した。


玄関開けたら、たくさんの物が一気に私の視界に入る。

靴を脱ごうにも、三和土に溢れんばかりの靴、靴、靴…。
伯母の孫やひ孫まで来ているので、たくさんの靴が並ぶ。
下駄箱に入れる、という習慣が無いのかそれとも下駄箱には既に物がぎゅうぎゅうに詰まっているのか。(見たくもないし、知りたくもないが)

廊下の突き当りにある階段は、両サイドには一段ずつ段ボールやらが置かれており、階段の真ん中しか通れそうにない。

廊下の隅に置かれたピアノは、すでに楽器としての機能は果たしておらず、その上に所狭しと物を積み上げてある。


一瞬にして寒気がした。
以前よりパワーアップしている。
ゴミ屋敷一歩手前、ぐらいか。

たしか、10年前に来た時は「うわぁ」と思っただけだったのだが、今回は家に入った瞬間、「帰りたい」と思った。

そして、旧友の家もこんなん汚家おうちだったわと思い出した。




伯母の遺影が祭られている部屋に入ると、祭壇の両脇には物、物、物。
部屋は物が溢れており座れないので、廊下に座らざるを得なくなっている。
なんとか座る場所を確保して、法要が始まった。

お経をあげている間、私はずっと気持ちが落ち着かなかった。
「汚い」この家に、いるのがイヤでたまらなかった。
「これに座り」と、出された座布団はボロボロで、「ありがとう」と言いながら敷いて座るも、紙のように薄いし湿っぽいし、はよお経終われ、と伯母のことに思いを馳せることなく、終えた。



法要が終わると、「あっちの部屋でくつろいでいって。コーヒー淹れるわね。」と従姉がいう。

本当はもう帰りたかったのだが、すでに父と母が親戚たちと談笑を始めていたので、帰ろうと言いだせなかった。

狭い部屋の中で大人も子供もぎゅうぎゅうにひしめきあっていて、テーブルにある焼きそばやお寿司などを食べている。


ここでも、寒気がした。


大家族を見ているみたいでよく言えば懐かしい、昭和感がある、エモい、のかもしれん。
私は隅のソファーでお茶やお寿司、お菓子やコーヒーをいただいたのだが、その間にもあちらこちらで、ラーメンの汁こぼしたり、物を置きすぎたテーブルからなにやらがこぼれたりで、くつろぐなんてできないし、もう阿鼻叫喚よ。


コーヒーはすでにテーブルに置くスペースはなく、床に置くしかなかったw
もう、なんだよこれ、ピクニックかよ。



目の前で繰り広げられる騒ぎに、ストレスを感じたのか、それとも食べ過ぎたのか、急にお腹が痛くなってしまった。

トイレを借りようと洗面所に行こうとしたら、先客がいた。
「二階にもトイレがあったよなぁ?」と聞くと、もう使ってないからダメだという。
二階のトイレを使っていないのか、それとも二階自体を使っていないのか。
従姉に尋ねはしなかったけど、きっと二階自体を使っていないのだろう。
あの物で溢れた階段を見たら、二階は使えないわなと想像に余りある。


ようやくトイレが空く。

私、入る。

ホコリまみれのトイレ。
いつからそこにかかっているのか、手を拭いたら逆に汚れそうなタオル。
シミだらけの洗面所。



また寒気が。

モウヤダカエリタイ。






あの家、もう行きたくない。(と言ってもそうはいかないのだが)



私は2019年あたりから断捨離を始めて、その良さに目覚めた。
綺麗にしておくことや整理整頓は、心も整うことを知る。
そして2020年以降はコロナの影響で「清潔」に対しての意識が社会全体でずいぶん変わったと思っていた。
コロナのおかげで意識も変化し、今のところ罹患もせず風邪もひいていない。


私の意識はすっかり変わってしまったけど、従姉の感覚はコロナ前後でも、変わっていないように思えた。


世間の人たちはどうなんだろうな。