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1000日までのカウント

2月8日水曜日に記事をあげたら、928日と出た。
そのついでに、スクショを撮った。


もうすぐ1000日だ。

1000日を達成する日は、4月20日あたり。

これから70日あまり。
おそらく私は淡々と毎日記事をあげているだろう。
だから、余程のことがなければ達成するだろうなとは思う。
身についてしまったこのnoteを書くというルーティン。

ただ、最近は以前にも増してnoteへの熱量がない。

朝、目が覚めて、noteを書くためにパソコンに向かっていたのが、今はベットの中で大した見直しもせず、下書きをそのままスマホから更新している。



酷い時は、昼前まで更新を忘れている日もある。
いや、忘れていると書くと語弊があるか。
頭の片隅には常にnoteのことがある。
更新するまでは、noteのことが頭に残り続けている。
それが、負担に感じているときもある。


書くことはある。
いつもなにかは考えてて、思っていて、感じていることは山ほどあるのに、書くという行為がとても面倒になるのだ。




今日明日明後日、私がnoteを書かなくても地球がひっくりかえることもないし、何も起こらない。
淡々と時間は過ぎるだけだ。

noteの毎日更新が面倒くさいな…と思う日が確実に増えている。


誰かと約束したわけでもないし、自分で勝手に毎日更新すると自然の流れでこうなっているのだが、1000日を区切りとして一旦やめてみるのもいいのかもしれないと、思ってはいる。


実際1000日を迎えた日に、書きたいことが山ほどあって溢れるほどの活字をスムーズに入力できるだけのモチベーションがあれば、「やっぱり毎日更新すっぞ!」と言い出すかもしれない。


それはその時になってみないと、わからない。




このnoteという存在があるから、人に言えないことも、秘めた思いも、愚痴も、曝け出して精神状態を安定させている。
noteに書いているうちに自分の感情が変わっていき、落ち着きを取り戻すことも多々ある。

noteの私は、愚痴も悪口も妬みも全て出しているけれど、表向きの私は社会生活を滞りなく円滑にできるように振舞い、妙に事物をわきまえてしまっているつまらないおばさんなのだ。


マンネリがもたらす、この自分の怠惰な感じ。
ダラダラと続けていても意味がないので、ゴールを決めてそこに到達することを目標とする。


1000日がくるまでに、めちゃくちゃ溜まっている下書きを清書して、全部昇華させてあげたいと思う。
50ぐらいのストックがあるので、これをゆっくり上げていくことにする。
全て無くなって節目の1000日を迎えたら、気持ちも心機一転、すっきりしてリスタート切れる気がする。