見出し画像

noteがオワコン?いや違う、私がオワコン……

ただならぬ気配のワードを目にした。


「noteオワコン」


オワコンとは、終わったコンテンツを指す。


ほらー!オワコンでワード検索したらこんなにある!





いや、私も少なからず感じていたよ。
この件ね、結構シビアなんかなぁって思ってる。
今まで見て見ぬふりしてたけど、ここ最近感じたことを書くわ。


フォローしている人の記事がタイムラインにあがる数は日を追うごとに減っているし、スキの数も減ったし、noteの街に人の気配を感じない日もある。

でもこれは、私自身がフォローをしている人が少ないからだろうと思っているし、その中の人が更新をあまりしなくなったからだろうと考えることは容易い。
だったら、ここ最近フォローをしてくださっている人のページを覗きに行って、気に入ったらフォローすれば賑やかになるかも?と思うのだが、ずいぶん前から更新されていないのを見ると、フォローする気もなくなってしまう。


なんだろうなぁ、この感じ。
「過疎化」かな。

「家」はあるのに、そこに人はいなくて1ヵ月ぐらい戻ってきてないのはあたりまえで、もう半年以上空き家な感じ。


これが、私の感じるnoteの街の現状。





現実の世間の人たちはというと、少しずつ動き出している気配がある。

コロナが世界に蔓延した2020年、「ステイホーム」してると時間が有り余り、「note」をする人が増えたと聞いたことがある。
もちろん、私もその一人だ。
あの頃、どこにも行けないし会社と家の往復で単調すぎる毎日に刺激が欲しかった。
単調な暮らしの中で、悶々とする気持ちや、沸々と湧き上がる頭の中の言葉を吐き出したいという欲もあった。
そして、この単調な毎日が「コロナの年だから」という言い訳で、記憶から消えてしまうのも嫌だった。
noteを書いていなければ、きっと去年、一昨年の今、何をしていたかなんて絶対覚えてないだろう。
このへんてこな、おかしく何もない日々を残したいと思ったし、それは今でも思っているし、だから毎日書いている。

一向に減る兆しを全く見せないコロナだが、そいつと共存できる世界になってきた2022年、人々は外に向きだした。
もう、人々はnoteなんぞ、やっている暇はないのかもしれない。



私は、世間の皆さまのようなWithコロナで生きていけるような職場に勤めているわけではないので、未だ2年前(2020年)のコロナ対応で止まっているのだけれど。
単調な毎日、だから、相も変わらずnoteを書く。


よく同僚たちと話すことがある。
「この会社のこの部署じゃなかったら、他の人たちのように旅行に出かけたり食事会したりしてるんだろうね、私たち。」

「Withコロナ」ができないところに勤めているさだめなのか。
銀行というところは、なにより風評や世間体に敏感だ。
そんな中で働いていると、自ずから保守的になる。

あれするな、これもするな、どこどこ行くな、コロナになるな、迷惑かけるな…などの圧力。
若干、モラハラの香りがしないでもない。



Withコロナができない、私こそ「オワコン」なのかもしれないぞ。



でも、私はオワコンと言われても飽きるまでこのnote街に住むつもり。
他に行くところないからさ。

だからnoteは終わらないで、しぶとく頑張ってほしい。