4月26日 緊張をほぐす「シェアリビング」
今日も高槻のWonderful tableにやってきた。シェアリビングに集うために。
前回はとても緊張しながら冒険のような気持ちで商店街を歩いていたけれど、今日はわくわくと楽しみな気持ちが大きくて、足取り軽くあっという間にWonderful tableに到着した。
今回は私はアオキさんの2人。
畳の部屋に入るとおばあちゃんの家みたいでホッとする。
ゆったりと場づくりの話や研究の話、表現の話をした。
印象深かったのは、「緊張」の話。
のびのびとした表現をするためには、場の柔らかさや安心感が大切だ。
画材で汚してはいけないんじゃないか、自分の表現は間違っているんじゃないか、そういう緊張が表現への入り口をせばめてしまう。
緊張は気がつくと私に重くのしかかっていて、うまくしゃべれなくなったり、書けなくなったり、歌えなくなってしまう。
緊張をほどいていく場を作りたい。それってどんな場だろうね?
もう一つの心に残ったのは、「メソッド化しない」という話。
これはアオキさんが一緒にプロジェクトを進める方の言葉だそう。
ワークショップや場作りをメソッド化することは、当たり前のように求められる。私もワークショップを企画運営しているが、何らかのメソッドをそのまま輸入しているわけではなく、また、自身でメソッド化もしていないことに、なぜか気まずさと後ろめたい気持ちを感じている。
「●●メソッド」として確立すれば、信頼感は得られるのだろうか?
それは数字で表される量的データで示されると、盲目的に信じてしまうのと同じ危うさがあるのではないだろうか。
量的データは客観的だとされるけれど、データの集め方はどこまでいっても恣意的で、ある種の区切りの中でのデータでしかない。
それが無意味だと言いたいわけではなく、そのデータは一部のものであると一歩距離を置いて受け取ることが大事なのだ。
また、場作りにおいては、メソッド化することで場が硬直するという現象があるような気がしている。メソッド化して、●●をすれば△△になるという型を作ってしまうことで、そこにはめ込まれる窮屈さや、はまれなかったらどうしようという、それこそ「緊張感」が生じるのだ。
メソッド化されていない無為なものの意義を言語化することは難しいが、その難しさに付き合い続けることは、何より大事なのかもしれない。
ひとしきり無為だけれど大事な話をしたあとは、シェアリビングでできそうなことをアイディア出ししていった。
それぞれお互いの「場」のイメージがありつつ、共通の軸は「リラックス・緊張を減らす」。そんなゆるむ場を作りたい。
日常の中で、「ゆるみ」が必要な瞬間はどんな瞬間だろう?
アオキさんが少し前に出会った赤ちゃん連れの女性の話を思い出した。
1人で赤ちゃんを見ている女性が少しでもリラックスしてもらえるよう、赤ちゃんを抱っこして預かったという話。
そこから、私の友人が生まれたての赤ちゃんを世話する中で、ワンオペのときは一人きりで菓子パンをかじるしかなかったという言葉を思い出した。
これらのエピソードから見えてくるのは、親が一人きりで赤ちゃんや子どもを見守りつづけなければいけないことの大変さ、そして一人きりで食事を取ることの寂しさ。
子どもと一緒の大人だけではない。例えば日中家で一人きり、食事を取る大人も寂しさがあるかもしれない。
家で一人きり、二人きりでご飯を食べている人が、誰かとホッと食事を取れる場所を作れないか・・・そんなイメージが膨らんでいった。
でもそこは「シェアリビング」。いきなりカフェのような「サービス」にしてしまうのではなく、まずは自分のご飯を持ち寄って、集まる場所にしていきたい。そして何よりも、普段子どもを見ながらバタバタとご飯を食べている大人がゆっくりとご飯が食べられるように、子どもの見守りをする人がいる。みんなで子どもを育てていく、「ゆるやかな家族」のような関係が紡がれるかもしれない。
シェアリビングのイメージが少しずつ固まっていった。
もちろんこれから形を変えることもあるかもしれないが、最初の一歩としてリビングらしい企画が生まれた。
次回はどんなアイディアが出てくるかな。
モーレツなわくわくではなく、ゆったりとしたわくわくを感じながら、次回に思いを馳せる。
次回の開催は5月10日(金)10:30~12:30(くらい)です!
ゆるっと「シェアリビング」を一緒に作っていく時間を過ごせればと思っています。
ぜひぜひお気軽に、美味しいドリンクを飲みながら話しましょう!