見出し画像

こねこね

「まいにちオノマトペ」は、まいにちの暮らしに潜んでいるオノマトペを見つけ、オノマトペにまつわるエピソードを綴るエッセイ。
オノマトペとは、擬音語・擬態語。複数の感覚を写し取る言葉。
暮らしに潜むオノマトペを見つけてみませんか?

すぐに吐き出してしまいたい気持ちと、少しのあいだ自分の中に留めて熟成させたい気持ちがある。
熟成と言っても、ただ放置するわけではない。気持ちを思考の波にさらして、揉んで、形を変えてみたりしながら熟すのを待つ。最初はばらばらの粉だった小麦粉が、混ぜられ、揉まれ、発酵してパンとして膨らむように、気持ちを「こねこね」して、変化を見守る。

「劣等感」、この気持ちをどう取り扱えばいいのか、私にはまだ分からない。ふとした言葉のやり取りで、自分が「普通」に至っていないのだと、情けなく、悲しくなる。
そもそも「普通」って何?
誰と何を比べていて、比べることにはどんな意味があるの?
そういう問いは、こういうときには全くもって役に立たない。ただ、自分が社会においては小さく感じられ、逆に自意識は肥大し、問いが入る隙間がない。

普段は目に見えないほど小さなトゲのような「劣等感」は、気がつけば杭のように自分を串刺しにしていて、「生きづらい」とまで思わされる。
貴戸理恵さんという社会学者は、「生きづらさ」の一部分を「<普通>からの漏れ落ち」と表現しているけれども、漏れ落ちることはどうしてこんなにも痛いのだろうか。

小さなトゲがいつまでも消えないのは、それが自分の「居心地の悪い<こだわり>」だからだ。「これが普通」「こうあるべき」・・・。そういう、居心地の悪い「こだわり」。時にそれは「呪い」という言葉で説明されるけれど、今わたしは他者の存在にこの「こだわり」の所在を置きたくない。誰かからかけられた「呪い」ではなく、自分の中にある「居心地の悪い<こだわり>」。自分を主体にして考えれば、自分でそのトゲを抜くことができると信じられる。呪いが解かれるのを、わたしは待たない。

トゲを抜いたあとに、ぽっかりと空いた穴を何で埋めようか。
「心地のよい<こだわり>」で満たしてあげよう。
わたしが大事にしていること、大事にすれば何か変わると信じているもの、そういうものをかき集めて、穴に詰め込んでみる。

トゲを少しずつ抜いていけば、いつか、誰かと比べることなく、「いえいえ、これがわたしですので、お構いなく」と安心して言える日がくるかもしれない。
「劣等感」をこねこねして、自分のトゲを見つめながら、そんなことを思っていたら、数ミリだけトゲが抜けた。


いいなと思ったら応援しよう!