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第二言語習得論から手話の習得を考える
12月14日に地域の手話の学習会で、手話動画を見る楽しさについて語りまくりました。
その時のざっくりまとめ↓
その中で「手話動画を見る意義」を第二言語習得論をもとに考えてみたのですが、それが、自分でもふだん思っていることを言語化できた気がしました。また、これまでこういうことを手話のテキスト等で見かけたことがないように思います。
ということで、今回はあらためて、「第二言語習得論から見た手話の習得」について考えてみます。
参考図書
「手話は言語。」
「手話は固有の言語であって、決して日本語に手の動きをつけただけのものではない。」
これは、手話を学んだことがある人なら誰でも知っていることですが、まだ世間的な認知度は低く、ここに大きなギャップがあると感じています。
翻って考えれば、ろう者の中には日本語の文章を「読む」のが苦手な方がおられ、さらに「書く」となると、苦手意識を持つろう者はさらに増えるのですが、日本語と手話が別の言語であることを考えれば、それは至極当然なことです。
手話を第一言語として生きるろう者にとって、日本語は第二言語です。私にとっての英語のようなもの。仮に私が「英語で自分の思ったことを書きましょう。」と言われたら、確実に逃げ出します。
数年前、「ろう者の日本語コンプレックスを解消する手伝いができないか?」と考えていた時期があって、日本語教師の民間資格を取りました。(近年、日本語教師が国家資格になったので、私の資格は意味がなくなってしまいましたが。)その時に読んでいたのが本書です。
「日本語を教えるための」と書いてありますが、当然外国語を学ぶ際にも役立つ知識がいっぱいです。もちろん手話の学習にも。
外国語の教授法もいろいろ歴史的な変遷があって興味深いです。ちなみに、私たちが中学や高校で英語を学んでいた頃、先生の "Repeat after me." に続いてひたすら先生が言う例文を復唱していた学習法。あれは「オーディオ・リンガル・メソッド」というそうです。
本書はとても読みやすく、全体的なご紹介をしたくもあるのですが、今回は「第5章 必要なのはインプット?アウトプット?」の章だけ取り上げます。
※以下の記事では、書籍内で英語や日本語の習得について書かれてあることを「手話の習得」に置き換えて説明します。著者が手話に言及しているわけではありません。説明に続いて私の感想等がある時は〔雑感〕という項目を立てています。
必要なのはインプット?アウトプット?
この章では、インプット(聞くことと読むこと)とアウトプット(話すことと書くこと)のどちらがどう言語習得に役立つのかを考えます。
手話は目で見る言語であり、書記法(文字)がないので、「インプット=手話を見ること」「アウトプット=手話で話すこと」と置き換えられます。
ここでは、第二言語習得分野の研究の第一人者スティーヴン・クラッシェンの説に端を発して、その後加えられた説などをご紹介します。
モニター仮説
クラッシェンは、言語の習得について、
教室等で学ぶ「学習」
と、
幼児が母語を習得するように自然に学ぶ「習得」
を分けて考えました(「学習・習得仮説」)。
そして、「学習」で身についた知識は、自分の発話をチェックする「モニター機能」しかなく、自然なコミュニケーションには役に立たないと考えました。
インプット仮説
クラッシェンは、言語はインプットを理解すること通してのみ習得されると考えました。
そして、そのインプットは理解可能なものでなければならず、自分のレベルより少し高いレベルのインプット(「i+1のインプット」)が必要であると説きました。
〔雑感〕
クラシェンが提唱した「インプット仮説」は、英語学習において大流行して、今も多聴・多読系の学習書がたくさん出版されています。
「少しだけ難しいコンテンツを大量にインプットする」という方法は私の肌に合っていて、英語その他の語学で取り入れてきました。私の実力では英語でニュースは難しすぎて頭に入ってきませんが、最近はYoutubeにさまざまなレベルのリスニングコンテンツがあって助かっています。
手話とは関係ありませんが、最近英語の聞き流しで気に入っているのは「Sakura English」というチャンネルです。
手話でもこの「i+1のインプット」をしようという試みが、毎日手話動画を見るLINE配信「手話の自習室」です。
もともと自分のための配信なので、基本的には私が「見応えがある」と感じる、簡単すぎない動画を中心に取り上げています。たどし、フォロワーさんには、手話の学習を始めて日が浅い方からろう者までさまざまな方がいらっしゃるため、読み取りやすい動画を入れたり、私自身も読み取るのが難しい動画に挑戦したりしています。
インプット仮説への批判
クラッシェンは「第二言語の習得にはインプットのみが必要で、文法学習やアウトプットは必要ない。」と極端なことを言っていたので、それを批判する説が出てきました。それが「インターアクション仮説」と「アウトプット仮説」です。
インターアクション仮説
「インターアクション仮説」は、手話で考えると「一方的なインプットだけでなく、手話のネイティブであるろう者と話すことも必要だ。」という説です。
とはいえ、インターアクション説も「言語の習得を引き起こすのは理解可能なインプットである」という考えを基本にしており、「ろう者と話すことそのものが手話の上達を促す」のではなく、「ろう者と話すことによってより習得に役立つインプットが得られる」としている点が興味深いです。
ろう者と話していて、よくわからない時に「もう1回言って。」「もう少しゆっくり話して。」と言うことで、ろう者がスピードを調節してくれたり言い換えてくれたりして、話が通じることがよくあります。このようなやりとりを「意味交渉」といい、これによって学習者は、ろう者から「理解できるインプット」をすることができ、それが手話の習得につながります。
たしかに、教室で習ったり動画を見たりするだけでは、自分にちょうど良いインプットが都合よくあふれているわけではありません。ろう者と「意味交渉」をすることで、ろう者からのインプットが自分のレベルに合ったものとなり、手話の習得が促進されるのです。
〔雑感〕
手話を学ぶ時に必ず「ろう者との交流が大事」と言われますが、ろう者とのやりとりには、このような上達の秘訣が隠されていたんですね。私のろうの友人たちにはいつもたいへんお世話になっています。
私と話す時、ろう者は私に合わせて手話を調整してくれています。私が上達すればするほど、ろう者は私に合わせることなく、自分らしく楽に話せるはずです。私の手話学習の目標は「ろう者が疲れない手話」。
道は果てしなく遠いですが、諦めずに歩いていきます。
アウトプット仮説
手話を見る(インプットする)時、私たちはわかる単語などから類推してメッセージ全体の意味を理解します。一方、手話で話す(アウトプットする)時は、「あれ、これってどんな風に表現したら伝わるんだっけ?」「この表現で合ってる?」と言語形式(文法処理)にまで注意が向きます。
このように、目標言語を意味処理レベルで終わるのではなく文法処理レベルまで引き上げるには、アウトプットが必要であるという説です。
アウトプットには3つの効用があるそうです。
①「言いたいこと」と「言えること」のギャップに気づく
②言語形式(文法)に注意を向けながらアウトプットを修正していく過程が言語習得を促す
③自分の表現が伝わるかどうか、使ってみて相手の反応(フィードバック)を見ることによって「仮説検証」をしている
〔雑感〕
この①②③は思い当たることがたくさんあります。
現在、手話では「言いたいこと言えんわ」の状態はだいぶなくなりましたが、英語では言いたいことの10%も言えない状態がずっと続いています。
ChatGPTを使うようになって、時間がある時にChatGPTと英語で会話したり、英語で日記を書いて添削してもらったりしています。まさに「言われていることはわかるしどう答えたいかも浮かんでるのに、どう言ったら良いかわからない!」と②の課題にぶつかってばかりいます。
手話でも、自分では言いたいことを言ったつもりが、うまく伝わっていないこともあり、「その表現じゃ通じん。」「そういう表現は手話にはない。」「それやったらこういう表現の方が通じる。」など、ろう者から③に関する指摘をいつもしてもらっています。
こうして、ろう者に手話を磨いてもらってるんだなあ・・・と、改めて感謝の気持ちが湧き起こります。
まとめ
上記の内容を手話学習にあてはめてまとめると、
①手話の習得には、自分がわかるのより少しレベルの高い手話動画をたくさん見る(インプット)が効果的。
②ろう者と直接会話(インターアクション)し、わからない時に意味交渉(話がわかりやすくなるようにするやりとり)を通して、私たちにとってちょうど良いインプットをする。
③ろう者と直接会話し、自分の言いたいことを手話で表現(アウトプット)することで、手話の表現のしかたに注目しながら表現を修正していく。また、ろう者からのフィードバックをもらうことによって自分の手話が通じているかどうか仮説検証する。
学習会ではここまで詳しい話はできませんでしたが、
今回本を再読してまとめ直しました。勉強になりました。
情意フィルター仮説
「言語習得にはインプットだけ!文法学習もアウトプットもいらん!」と極端なことを言うクラッシェン先生ですが、彼の説の中で一番好きなのが「情意フィルター仮説」です。
これは、学習者のモチベーションが低かったり、不安が高かったり自信がなかったりすると、インプットした情報をブロックしてしまう精神的なフィルター「情意フィルター」が高まって習得が困難になるという説。
つまり、言語習得には、学習者がモチベーションが高く、リラックスして不安を感じていないような状態で学習することが必要だということです。
「楽しく学習するのが一番」ということですね。その通りだと思います。
おわりに
昨今、「動画を見て手話を勉強しています」「手話に興味があるので本で勉強しています」という人が増え、手話動画を使った学習があまり良く思われていない空気を感じます。
「手話はろう者から学ぶ」は私もゆずれない信条ですが、ろう者と一緒に暮らしているわけではない私にとって、ろう者に会える時間はほんのわずかです。
ろう者と会える時には、たくさん話したり一緒に何かを楽しんだりしつつ、会えない時に動画でたくさんインプットする…そんな学習法が認められたら良いのになぁ…🤔と思っていました。
今回、手話動画によるインプットの有効性が第二言語習得論によって明確になって嬉しいです。しかも、ろう者と直接話すことの必要性もよくわかり、より目的意識を持って学習を進めていけそうです。
私にとっては、手話動画を見ることもろう者と会うことも、「学習」というよりは「楽しみ」の方が強く、趣味と勉強の境目があいまいです。そして、そういう楽しくリラックスした学び方が「情意フィルター」を弱めて学習効率を上げるという説もあって、ますます心強いです。
「目のまど」の役割
「目のまど」は「聞こえない人や手話にまつわるいろんなことをする架空の店」です。
私が、仕事やボランティアや趣味など、形は違うけれど目的が同じことを、境界線があいまいな状態でいろいろとやっているため、それをまとめて考えるために屋号をつけました。
「目のまど」の活動のうち、手話の習得に役立てられるものをふりかえると、
・手話の自習室…「インプット」材料を提供
・FUNTIMEの手話べり交流会やイリョウキカク…ろう者と楽しくリラックスして「インターアクション」や「アウトプット」をする機会作り
といったことをしているようです。
こうして、「インプット」「インターアクション」「アウトプット」の機会をそれぞれ提供することで、皆さんが手話の学習が楽しくなり、上達していかれるお手伝いができたら嬉しいです。