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新年も明けました。今年もよろしくお願いいたします。
対人性愛とフィクトセクシュアルのスペクトラムの間に挟まれていたり、クロスオリエンテーションである人たちは一体どうなるんだろう。今の議論だと、どちらかと言う2項対立の形で語られることが多いから、その端境にいる人たちは、結局はどうなるんだろう。
私は人間に惹かれないフィクトセクシュアルの当事者から見て、とても邪魔な存在なのかもしれない 自認した今でも、もしかして間違えているのではないかと不安だし、次元違いの彼との関係も恋愛なのか、友愛なのか、バディなのか、主従なのか。それらが全部入り混じっているようで、曖昧でわからない
Fロマ/Fセクは、あくまでもその人がどの対象に惹かれるかと言う感覚。 夢女子はキャラクターへの愛をどのように表現するか、どのように体現してるか。それぞれは、別の視点の考え方。 だから、同時に人間パートナーがいようとも、結婚したとしても、奥底でその感覚は残る事だってあり得る
正しさを、誠実さを、純粋さを求めれば求めるほど残酷なのはなぜだろう。 2次元か、3次元か、どちらか決めなければいけないって言うのにどちらも取ろうとする。私は欲張りなのだろうか。自分はマイノリティ中のマイノリティだって事は知ってる。許されないことだってわかってるのは知ってる
私は、2次元の彼がこの世界では架空の存在と呼ばれる存在だって言う事はとっくにわかってる。だけど、彼と共にいた時間は架空では無い事はわかる。 でも、こちらでの制約があるから、どうしても説明するために架空の存在と片付けないといけないことだってある。辛いけど、それが世の理なのかなって