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大学受験レポート:受験前日から現在の心境まで

ふーー、よし。

どうも、無事、受験を終えてきました。
今回は受験レポートです。前日と当日、そして今の心境に至るまで。

受験前日

11月16日土曜日。
この日は午前中に補習があった。とはいえまともに受講したのは1限目の倫理だけで、そのあとは最後の面接練習と小論文の練習を詰めた。

面接練習は、いつもより少し長めの時間設定でやってもらって、予想外の質問もいくつか出してもらった。本番は集団面接(討論ではない)なのに、最後の最後まで個人練習しかしなかったな。多少の不安を抱えつつ、担任の先生に頭を下げて、「行ってきます」と言った声は、誤魔化しようがないほど震えていた。

小論文は、個室で1時間じっくり課題文と自分の思考と向き合って、丁寧に文字を紡ぎ出した。先生が出してくれた課題が、小論指導が始まって1番初めに出してくれたやつだったので、先生らしいなと思った。初めの頃は赤ペンだらけで、多い時は3回くらい書き直して。この日採点してもらうと一発で満点だったので、成長を感じた。

採点が終わると、先生といっぱいお話をした。
何気ない雑談や、大学、将来の話。ふと会話が途切れると、先生は真剣な顔をして真っ直ぐこっちを見ていた。

 〇〇、真剣な話するね。手、出して

頭に疑問符を浮かべつつ手を出すと、一切れの付箋を渡された。
1番上には、珍しく私の名前がフルネームで書かれていた。「〇〇 〇〇さんへ」と。
軽い気持ちで読んだのがいけなかった。最後の「明日も自分らしく頑張ってね」という言葉を見た瞬間、視界が揺らいだ。

 …せんせぇー

 ん、何?どした?

 先生が国語の先生になってくれて、私と出会ってくれてありがとう

 …やめて、今その顔で言われたら僕も泣いちゃうから

また冗談を、なんて思って先生を見ると、本当に顔が赤くて今にも泣き出しそうだった。
最後はちゃんと笑顔で「行ってきます」が言えた。

帰宅後はひたすらダラダラとリラックスをし、21時半くらいに仕事終わりのインドネシア人の彼と通話をした。彼の仕事の話を聞かせてもらったり、受験の話をしたり。最初は、翌日も早いので30分だけのつもりが、気付けば1時間半も話していた。実は私は通話が死ぬほど苦手なのだが、彼との通話はびっくりするくらい平気だ。同じ相手と2回も通話するなんて、時間も忘れて長時間話し込むなんて、信じられない。たぶん、他の人とだったら、同性であってもこんなに通話できないだろうなとふと思った。


受験当日

11月17日日曜日。午前4時半起床。ママと一緒に朝食をとり、いつものように身支度を済ませる。まだ真っ暗ななか車を出してもらい、駅まで送ってもらった。「落ち着いて頑張りや。行ってらっしゃい」というママの言葉に「まぁ任せぇ。行ってきます」と元気よく返し、改札に向かった。
始発の電車は海の底を走るようで、発車すると急に寂しさに襲われた。リュックの中には受験票、筆記用具、面接ノートとたくさんのお守り。友達から貰った手紙と、今まで書いてきた小論文の束。先生から貰った付箋はその上に貼ってある。

会場には1時間前に到着し、受験室の前で緊張と不安と戦いながらリュックを抱きしめ続けた(不審者)

試験は小論文から。
1時間で400字だったので、いつも練習しているよりかはかなり時間的に余裕だった。しかし、テーマは今まで解いたことのないものだったので、かなり焦った。課題文の文字が全部滑って、何一つ咀嚼できない。強制的に痛覚を刺激し、何とか咀嚼作業を進める。下書き用紙の裏面に構成のラフを書き殴り、分からないなりに消化していく。とにかく必死だった。ラフができたのが15分で、丁寧に文字を綴る作業に移る。行数割もスムーズにでき、400字の白紙を25分かけて埋め終えると、誤字脱字の確認。
残り10分、周りがまだ机に向かっている中、改めて、自分の論の消化が甘かったのではないかと反省する。めちゃくちゃ不安だぁー…

ここで1時間15分の休憩タイム。長すぎん?こんなもんなんでしょうか。謎だ。
トイレ行って歩き回ったり、次の受験室確認したり、読みかけの本(『日本語が消滅する』(著:山口仲美))を読破したり、おにぎり食べながら面接ノートを眺めたり。こう書いたら割と自由人すぎるな。もうちょい緊張感持て。
ちなみに周りの人は教室の外に出てたり、自分の席で面接ノートと対峙してたり。静かすぎてそわそわしたなぁ。

休憩が終わると、注意事項が読み上げられ、面接が始まった。私は2組目で、待機時間はひたすら深呼吸。
3人1組で行う集団面接は、小論文とは対極に納得のいくパフォーマンスができた。まず、自分の伝えたいことが十分に伝えられた。そして、自分の聞いて欲しかった高校でのボランティア活動の話も聞いてくれた。
何より、他の受験者の話を余裕を持って聞くことができ、逆に自分の発言もみんなに伝わったという感触があった。面接官も受験者も「話してる子の発言をみんなで聞こうぜ!」みたいな雰囲気だったので、話しやすいし聞きやすかった。最初の緊張はどこへやら、楽しすぎて25分なんてあっという間だった。なんなら物足りなくて、もっと話しましょうよ〜なんて勝手に思ってたくらい。

帰宅時間が遅く、その日は疲れすぎて22時過ぎには気を失った。


受験後の月曜〜現在

月曜日からの精神状態はひたすらにジェットコースターだった。「試験超楽しかった!絶対いけたわこれ!」みたいな時と「あぁ…終わった…小論文がぁ…」みたいな時が数時間単位で入れ替わり、なかなか忙しい人格で過ごしていた。

特に落ち込みのピークが、月曜日の放課後。
小論文を先生に見せて、そのまま長いこと大泣きしてた。先生が採点したところ、どんなに悪くても7割は取れてるよとのことだった。「そっかぁ、〇〇、よく頑張ったねぇ」と言ったあと、いつも通り課題点と良かった点を指摘してくれた。「これくらい泣くほど小論文に最後まで向き合ってくれて、僕はめっちゃ嬉しい。〇〇のような生徒の担当になることができて、本当に良かった。ありがとう」とも言ってくれた。これは駄目だ。泣かせにきてる。

そのあとは、受験が終わったら先生に貸してもらう約束をしていた三島由紀夫の『金閣寺』を取りに、職員室までついていった。本を手に戻ってきた先生は、「これ受験頑張ったご褒美やから〇〇にあげるよ。返さんで良いから持っとき」と手渡してくれた。
雑談もそこそこに、明日(火曜日)から小論文出さんで良いのかー、寂しいねーみたいな話をしていた。もともと授業ではあまり関わりのない先生だったので、放課後にいつもみたいにふらっと訪ねてきてくれんかなぁなんて思った。
実はそのあともなんだかんだ毎日話しにきてくれたりしたのはまた別の話で。

今も、正直ドッキドキで、めちゃくちゃ怖いです。合否はよ出てーって気持ちと出んとってーって気持ちがせめぎ合ってます。
けど、やれることは全部やったので、満足はしてないけど納得はしてる。
だって、ここまで頑張ってきたんやもん。
友達も先生も、そして私のnoteを読んでくれた大切な人たちがいっぱい応援してくれたから。
数ヶ月前の私は、こんなにたくましく頑張った今の私の姿を多分知らない。

きっとどんな結果になっても、また私は頑張れる。

では、12月1日の午前10時をお楽しみに。

うわぁーーーーー、怖っ…!!!!


ご清覧ありがとうございました。
自販機のコンポタでした🌽

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