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うのけん師匠のランニング教室に3ヶ月通った話①

師も走る12月、師とは先生のことで、昔は先生は暇な職種だったが、そんな先生でさえも走るほど忙しくなる月であることから師走と呼ぶ、と母から昔教えられずっと信じておりましたが、調べたら割と違っていました。ガパオです。

師走も半ばとなりましたが、ガパオ的1番の2024年の思い出は、間違いなく「うのけん師匠のランニング教室に3ヶ月通ったこと」です。私的には9月から11月までは毎月、師走ならぬガパオ走(がぱわす)でした(?)
走るのはおろか、歩くのも大嫌いだった私が、ランニングガールになるまでの記録を思い出に残しておきます☆彡

大嫌いだったマラソン

元々幼少期からずっとスポーツには触れており、大学までがっつりスポーツをやってはいましたが、ずっと長距離は大嫌いでした。というのも、父親が20年くらい趣味でマラソンをやっていて、小学生のときに親子マラソンみたいなものに出たんですね。その時に爆走する父親についていったのがキツすぎて嫌いになりました。笑

そこから十数年…思いがけずランナーの推し(ランナーの推し?)が爆誕。赤坂ミニマラソンの優勝を現地で見届け大感動し、さすがに走るか…とランニングシューズ(初心者のくせに2万)を購入しましたが、2,3km、気が向いたら走ったり…という調子でした。

うのけん師匠がランニング教室をやるらしい

100kmサバイバルマラソンで再び激走に感動したものの、暑くて走る気力など到底なくなっていた8月、我らが(?)うのけん師匠がランニング教室を開催するらしい、という情報をキャッチしました。かなり興味はありましたが、毎週日曜朝9時から全11回、開催場所は家から電車と自転車で1時間、しかもマラソン大会完走を目指す人向け……正直文哉への下心…おっと、うのけん師匠に会ってみたいという気持ちしかないし、友や姉を誘ってみるも、みんな興味はあるが条件的に厳しいと……うーんどうするものかと迷っていたところ、母(通称・なんでもやってみなさいオバサン)が「うのけん先生に教えてもらえる機会なんてないよ!?しかもこんな安い習い事なんてどこ探してもないよ!!(確かに参加費は破格だった)途中でやめてもいいからやってみなさい!!」と猛プッシュ。「まあほんとに無理だったらやめるかぁ…」と1人で参加を決意しました。

うのけん師匠の洗礼と、神・森渉氏

ドキドキ、ワクワクの初回。うのけん師匠が現れ「お~本物だ~」と1人感動し、はじめにウォーキングしながら1人1人と話してくれるタイムがあったので「文哉くんのファンで参加しにきました!」と伝えました。「まじか!!!頑張ろうな!!!!」とアツい握手を交わしてもらい、レッツランニング!

……●にました。猛暑の中、公園をぐるぐると7kmも走らさ…走りました。いや、参加者のレベルがそれぞれ違うので、キツくなったら抜けていいと言われていたのですが、結局最後まで走ってしまったんです。頭の中で何度ふみやを召喚させたかわからないし、抜けていいと言われているのに抜けられないのは父親譲りの頑固な性格のせいだ…やっぱり走ってキツくなるのは全部父親のせいなんだ、あのジジイめ…と何の罪もない父親を恨みながら走りました。
しかも1人くらいはいるかもしれない…!と期待していたQWVさんもいないし、なんなら参加者のほとんどは徒歩圏内の地元の方で、推しの?コーチだから(・・?と皆さん若干引いてた気がします。笑

初回のツーショ⭐︎

早くも憂鬱になっていた2回目、思わぬ救いの神が現れます。赤坂ミニマラソンや100kmサバイバルマラソンにも出場していた、アスリート俳優の森渉さんです。このランニング教室では、うのけん師匠だけでなく他にも数人、別のコーチが来ることになっており、その1人が森さんでした。まぁ~この方が優しくてかっこよかったんです(ちょろ)。その日はたまたま初心者が私だけだったので、逐一「大丈夫?☺️」と気遣ってくれ、励ましてくれながら、時々ふみやとの思い出を話したりしてくれながら、後ろで一緒に走ってもらいました。軽率に森渉ガチ恋女が爆誕し、あれ、なんかランニング教室楽しいかも♪とメンタルが大復活(ちょろ)。なんとか続けていけそう!ということになりました。

文哉と同じくらい応援した赤坂ミニマラソンと、
念願のツーショ

思いの外長くなってしまったので②に続きます💨

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