筆は走るし、指は踊る
見せつけるように文章を書いても、きっと読んではもらえない。
書くことは容易で、手軽に始めることができる、きがする。技術が見えないから。本当は至極難しいのに。
美しい文章がわかることは、ラッセンを容赦なく捨てられることだと思う。
美しい文章は、練りに練り、鍛錬を繰り返すことで1つの作品になっていく。工房で、真っ赤な鉄に一閃の槌を振り下ろす刀工の如く、言葉を並べる。
それでも片手間に書くことを辞めることができない。褒められた傲慢と、できる気がするという記憶が捕まえたまま離してはくれない。
ああ、書けば書くほどに、クリシェになっていく。
自由に筆を走らせる。タイピングだから指を踊らせる、か。「あ、ちょっといいこと言ったかも」なんて思う。そんなときはだいたいすぐに、あさましさと出会う。軽率に「こんにちは」と挨拶して、目も合わせずに通り過ぎる感じ。
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高校三年、旧校舎と新校舎の渡り廊下、「予選、絶対勝つぞ」の円陣がグラウンドから聞こえてくる。若い男の子の発声。「ノイジー」。くだらないと思いながら、わたしはそっとコーヒー牛乳を飲む。昨日、テレビでみたけど、最近は缶チューハイとストローが流行ってるらしい。馬鹿らしい。おこちゃまかよ。手すりにおいた紙パックが痛い。SNSもいいけど、テレビもいいんだよね。
風が吹くと、半分まで飲んだコーヒー牛乳がカタカタと揺れる、落ちてしまうんじゃないかと思う。手すりのそばには手を近づける。努力はしたんです、の言い訳がほしい。
覗いてみる。下には、誰もいない。夏休みの図書室みたいな空白がある。紙パックを落としてみたいと思う。落とすことが出来たら、夕方5時過ぎにここにはいない。きっと今頃、カラオケで踊っている。
動画を撮影する一年生女子を校舎の隅に見つけた。ダンスでもないダンスをして、何になるんだろう。「セイテキ二ショウヒサレテイル」んだよ、あんたたち。あたしはこれからどうなるんだろう。
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ふと我に返る。ここは東京。渋谷区、午前三時。わたしはしがないサラリーマン。長い潜水は、地上に戻ることを忘れるらしい。妄想も然り、だ。
明日も早い。感染症もつゆ知らず、俺は電車に揺られている。電車内は幾分快適になったが、ホームの雰囲気は変わらない。勝手に出荷待ちと呼んでいたが、状況はむしろ悪化している。
「もしもし、こちら東部戦線24時、状況は悪化している、至急応援を頼む。もしもし、こちら・・・」
「山手線、ドアが締まります」
選りすぐりの、劣悪環境戦士が入っていく。そういえば、戦士って言葉はジェンダーレスだ。看護士、添乗員、戦士。企業戦士は時代の先をひた走る。電車はぐるぐるまわる。目も回る。ゆるやかな睡魔に落ちていく。