小説、得

学校帰り。ボロボロのカバンを背負いながら細い道を歩く。脳内にシャッフル再生をかけて、浮かんだメロディーを普通より少し大きい声で歌う。
歌う片手間に色んなことを考える。今日はあの先生に怒られたとか、あの人をしばらく見ていないとか、そういった由もないことを思い浮かべては消す。消えると言うよりも消している感があるのは少し不思議だ。
木曜日はなんだかんだで一番きつい。四日分の疲れと明日も疲れなければという憂鬱を説得しなければならない。そういう日はなんだか気を衒いたくもなるものだ。そう思った時には既に両手を開きながら走っていた。カバンが揺れて、教科書の角が痛い。鬱陶しく思ったので近くにあった公園に入ると同時に投げ捨てる。
歌うのはいつの間にかやめていた。走りながら草に飛び込み、木にぶつかり、水たまりにズボンの裾が濡らされて、それでも走る。が、体力がそもそも無さすぎるので結局ゆっくりと歩きに移行してしまう。風を切る肩で息をしながら歩く。目の前にあった花を口に入れて食む。ある程度ほぐれたら飲み込む。なぜだか急に気分が悪くなる。
空を見上げれば半月だったので何人かの友人の顔を思い出したが、こちらは消す意図もないのにしばらくしたら消えてしまった。
しばらく木の横に並んで木の気持ちになってみるが、うまくいかない。次に逆上がりをやろうとしてみるが、難しい。滑り台を滑ったりブランコを漕いでみたりするが、笑ってくれる人がいないとつまらない。
散歩をしているのであろう犬とその飼い主からの視線に気づき、そそくさと置いたカバンを拾って公園を出た。背中に四角の角と重みが戻り、疲れと憂鬱と再開する。体力の消費だけに終わったし、やらなければよかったと思う。でもやるべきだったのだと思う気持ちもあった。
側から見れば、私はおそらく薬物か何かをやっている異常者だっただろう。警察がいたら職質だっただろうし、治安の悪い国だったら射殺されていたかもしれない。そうならない日本に感謝だ。薬物を疑われるくらいで済むのだから。
冷静になってふと思った。薬物をやっている人ってこう言うふうに感じるんだろうか。視界はチカチカのサイケデリックではなかったし何も注入しなかったが、周りから見て同じなら実質同じだろう。
そう思うとなんだか得だ。私は常人が逮捕のリスクと大金を叩いて得る薬物感を、なんとなくの思いつきで手に入れてしまえるのだから。捕まらないし体力しか減らないなんて最高じゃないか。
こんなことを思っていたら家に着いた。

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