Varpu Kesälä
家族の思い出、いいこと悪いこと 自分自身の人生、今までとこれから
私は何が出来て何が出来ないのか❓
いつもプラス思考じゃいられない。 ヤサグレる時もある。
家族のこと、自分のこと、いろいろ書こうと思ったが いろいろ考えていたら手が止まってしまった。。 書いてもいいのかな。。 自分のなかだけに留めていればいいのでは? ちょっとだけだけど、書いたものも削除する? 自分の中でいろんな感情が湧いては消えての繰り返し。。 私は一体どうしたいのか。。。 もうすぐ母の四十九日が来る。。。
小さい頃から、母が言うことは絶対だった。 誰が何を言おうと、理不尽なことであっても 母がイエスならイエス、ノーならノーなのだ。 小学校の時、確か学校の行事で、キャンプファイヤーをやるためにタイマツを各自準備してきてくださいと学校からお知らせがあった。 お知らせの紙を母に渡し、私は初めてのキャンプファイヤーにワクワクしていた。 母がタイマツを準備してきた。 それを持って、ワクワクした気持ちで学校に行った私は、先生から予想外のことを言い渡される。 「これでは規定の長さからだ
父は、お酒が好きだった。 夕食時、まず瓶ビールを1、2本飲んでから、焼酎、または日本酒。 そして寝酒にはウイスキー。 家計が火の車なのはおかまいなしに、きっちり毎日飲んでいた。 食べること、飲むことが大好きな父。 つまむものへのこだわりも強い。 酒とつまみが合わないと途端機嫌が悪くなる。 子供の頃はあまり理解できなかったが、私もお酒を飲むようになってからは父の気持ちが痛いほどわかってしまう。 母は、お酒は飲めたが好きで飲むのではなく、嫌なことを忘れたいがため、酔っ払いた
小学生の頃、気付くとルーティンになっていたことがある。 学校から帰ってきたらまずやること。 なべ類の点検だ。 共働き、正しくは、母がメインで働き父は気分次第で働き だったが。。 忙しかった母。家事に手が回らなかったんだと思う。 なべやフライパン、魚焼きグリルなどを使っても洗わないで放置していることが多かった。 次に使うときまで放置しているから、カビが生えたり、中身が腐ったりと、かなり悲惨な状況になる。 そんな鍋やフライパンが父に見つかると。。。 必ず大喧嘩が始まる。。。
職人だった父は、天気が悪い日、気の乗らない日は仕事をしなかった。 父が仕事に行かなかった日、たまたま私が風邪を引いたりで体調を崩し学校を休んでしまった日、その二つが重なるとお昼ご飯はすき焼きだった。 学校を休んで寝ている私のところへ父がニコニコしながらやってきて「姉ちゃん、すき焼き食べようか」って言ってすき焼きを作ってくれた。 てっきり私は、妹も弟も、学校を休んだ時はすき焼きなんだろうと思っていたが、どうも私だけだったらしい。。。妹と弟は、お昼ご飯がすき焼きではなかった
母が亡くなってもう2週間が過ぎた。。。 気を張っていたからか、亡くなった当初は動けていたが、なんだかだんだんしんどくなってきた。。 この日が来るのは覚悟していたけれど、いざ迎えてみるとこんなに心細いものなのか。。 母とは決して仲が良かったわけではない。どちらかというと大半が反発してばかりだった。どこかに一緒に出かけた記憶もあまりない。手を繋ぐことも抱きしめられたこともあまりなかったと言うか記憶にない。。 いい子ちゃんだった時期は私の人生の前半で、あとは母を避けていた。
貧乏な家だったが、美味しいものが大好きだった父のおかげで、夕飯のおかずはなかなかの豪華さだった。 今ではポピュラーな焼肉も、私の小さい頃はそんなに食べられていなかったと思うが、日曜日や休みの日は焼肉の確率が高かったと思う。 住んでいた場所が海産物が豊富な町だったのこともあり、お刺身をはじめ、魚介類の鍋物や、あんこう鍋、ふぐなども食卓を彩った。フグと言えば、だいたいどこの町だったかは想像がつくと思うが。。 職人だった父は、天気のいい日は仕事をするが、雨の日や気が乗らない日
身について離れない習慣。 お姉ちゃんなんだから。 物心ついた頃から、母は私に厳しかった。妹と弟には甘くても、私だけには異常に厳しかった。妹や弟が原因で喧嘩になったとしても、怒られるのはいつも私だった。何をやっても私が怒られる。正しくても正しくなくても。 両親が共働きだったせいもあってか、小さい頃から家事を手伝うのが当たり前だった。子供心に理不尽だと思うことがあっても、「お姉ちゃんなんだから」の一言で片付けられ、私の感情は関係なかった。甘えた記憶もなく、妹と弟のため、家の
多分3才くらいの記憶だろうか。。。 大阪のとある町に住んでいた。 夏のある日、小銭を握りしめた3才の私は、わらび餅を売りに来るおじさんを待っていた。大好きだったわらび餅。おじさんが来るのをいつも心待ちにしていた。 なぜかこの記憶が鮮明に残っている。 またとある町で、妹と二人、親戚の家に預けられている。弟の出産で母が入院していたので、親戚のおばさんに預けられていたと思う。 私が3才、妹は2才。昼間は機嫌のいい妹も、夜になると母を恋しがってひどい夜泣き。小さいながらも妹
物心ついた頃から、いろんなことがあった… 平凡な人生、ではなかったように思う。 家庭環境も複雑だった。両親の仲も悪くケンカが絶えない家庭だった。貧乏で子供の頃からお金がないことが身にしみてわかっていた。子供心に、きっとウチは他の家庭とは違うんだろうな。。。ってわかっていた。 機嫌がいい時と悪い時の差が激しすぎる父。でも父のことは嫌いじゃなかった。 いつも泣き顔だった母。笑っている顔よりも、泣いてる顔の方が印象強い。 母が先日亡くなった。 母が亡くなったことを区切り
できること 食器など洗い物 できないこと 食べたまんま放置
できること ガスレンジを綺麗に保つ できないこと 料理したままガスレンジ放置(油が飛びっぱなし)
できること 水回りの掃除 できないこと 水垢溜まったままの状態を放置
できること 備品雑貨のストック できないこと ギリギリになるまで買わない もしくはたりない状態
できること 使ったものは、元の位置に戻す できないこと 使いっぱなし、散らかしっぱなし
できること お酒を飲む できないこと お酒を飲まない