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子どもの力

長男が3才ちょっと前、娘を妊娠中でちょうど安定期に入った頃、東日本大震災が起こりました。
当時私たちは住所を言えばすぐ罹災証明がもらえるような地域に住んでいて、その日から約3週間避難所で生活しました。

「15分家を出るのが遅かったら今ここにいないよ」と言われて、それまで「みんな、長生きしてまで何をしたいの?」と思っていた私が、もしそうなっていたとして、私は何をやり残したのか?と考えました。

避難所というところは、特に最初の頃はいつも誰かが誰かを探しています。
生きていて欲しくて、諦めきれずに探す人。
なぜ自分がここにいるのかと、なぜ自分がここにいるのにあの人がいないのかと、先を考えるどころか、時間を巻き戻したいと願う人がたくさんいました。
そして私たちはそこにいて、生きていました。
2才の子連れの妊婦の避難所生活、ご想像の通り、じっとしていられないし、人のスペースにはどんどん入って行ってしまうし、すごく迷惑、みんなが疲れていて、静かにしていたい時に騒がしくして本当に申し訳ないと思っていました。

でも、実家に帰ることが決まって避難所を出るときに、同室だった皆さんが言ってくれたのは「息子くんがいてくれて救われた」という言葉でした。
子どもってそういう存在です。
時間はたくさんあって、やれることはほとんどない中、みんなが動けない、電気もない、水も出ない、そんな中でも、私のお腹は日々大きくなっていたし、息子が話す言葉は日々増えていく。
時間は確実に進んでいるというのを、私は自分の体で感じていたし、息子の姿から感じることができていました。
そして、それを感じていたのは私だけではなかった。
震災から1年経って、当時住んでいた地域に行ったとき「増えてる!」と「ダメだったのかと思ってた」と泣いてくれた近所のおじいちゃん。

子どもってそういう存在です。
かなわない、とその時からずっと思い続けています。
子どもたちが大人にくれる希望以上に、大人が子どもにしてあげられることって何かあるのかな。
生きてる、それだけで尊いし、偉大。
宿題やらなくても、面談の日程を知るのが前日でしかも友達のママからでも、もう仕方ないと思えるくらい、私はたくさん二人に助けてもらってきました。

「もしそうなっていたとして、私は何をやり残したのか?」
私は大人になった息子の姿を見られなかったこと、そして娘をこの世に出せなかったことの二つしか思いつかなかったから、それだけはちゃんとやろうと思って今日まで過ごしてきました。

息子が私の背を抜いて、娘の靴のサイズが私と同じになりました。
今はとても明るい気持ちで「まだ死ねない」と思っています。
さて、ここから先、私はなにをしようかな。

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