女のお茶汲み
会社の様子はどうだ? と父が訊ねてきた。
父はしばしば、この質問を私にする。
「IT企業はよく分からないから」「東京の企業ってよく知らないから」「リモートワークはよく分からないから」と、なにかと理由をつけて、私の会社の様子を知ろうとしてくる。
それは、あなたの仕事を含めた生活の様子を知りたいのだ、という感想を抱いた方も多いかもしれない。
しかし、そのような質問は他にもされている。
また、「上司はどんな人か」「どんな事業をしているのか」などを訊いてくるので、やはりこの質問で訊きたいのは会社のことなのだろう。
そんなことを訊いてなにになるのか、私には思いもつかない。
あるいはそういった質問を通じて、私の会社への解像度を測り、それによって私の仕事への態度を見定めようとしているのかもしれない。
そんなことをして、なにになるのかはやはり分からないが。
父がある日、こんなことを訊ねてきたことがあった。
「お前の会社には、お茶汲みの女性はいるのか」
それを聞いて私は唖然とし、
「いないよ。今どき」と返した。
なんと時代錯誤な質問だろうと思った。
私が勤めるのは東京のIT企業であり、父が勤めていたのはバブル前のローカルなメーカーや、バブル後の地方の中小企業だ。
それにより認識の差が生まれる可能性は否めないのかもしれない。
だが、それにしても前時代的である。
私の父は、同世代の父として考えると実はかなりの齢である。
だから「前時代」なイメージを職場に対して抱いていても仕方ないという側面はあるのかもしれないが、それにしても——。
経験がなくとも、ニュースなどで時勢を知っていれば、そんなことはないだろうと想像がつかないものだろうか?
しかし、私は最近、ある映画を観てこの「前時代」が意外と最近にも残っていたことを発見した。
フジテレビで放映されていた『容疑者xの献身』である。
『容疑者xの献身』は「ガリレオ」シリーズの映画第一作にあたる。
福山雅治演じる湯川学が、科学的に「ありえない」と思われる事件のトリックを、多くは科学的知見を用い暴いていく人気シリーズだ。
湯川はいわば推理小説の探偵役であり、探偵がいればワトソンもいる。
それが——シリーズにわたり複数人いるが、『容疑者xの献身』では——柴咲コウ演じる内海薫である。
彼女は、湯川に事件の解決を依頼し、湯川が解決する。その際に、その推理の聞き手や狂言回しを担当する。
内海は刑事であり、事件の捜査チームでは(おそらく)唯一の女性だ。
そんな彼女が、「おい、コーヒー淹れろ」と言われるシーンが作中に存在したのだ。
お茶とコーヒー。飲みこそ違うが構造は同じだ。その場にいる女性が、男性の飲み物の世話をしなければならない。
『容疑者xの献身』は2008年の映画であり、原作の刊行は2005年だ。
つまりその頃でも、その描写は「理不尽」なものとしてであれ——「女だから」と扱われる内海のムッとする表情がしばしば映る——それでも組織によってはあり得るものとして取り入れられていた。
「女のお茶汲み」には、21世紀に入ってもリアリティがあったのだ。
なるほど。父の疑問にも父なりのリアリティが込められていた。
しかし、そう判断してもなお、私はその疑問自体に与みできない。
私は、2010年代の企業しか知らない、「現代の若者」なのだ。
ただ、そのような疑問を挟む余地のある社会と、「は? なに言ってんの?」になる社会では、後者の方が何倍もマシだと思う。
女性社員が、女性だからというだけで、男性社員の飲み物の世話をするなんて想像しなくてもいい「新時代」の方が。
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