幼児期から英語教育をする意味とは?
日本でインターナショナルスクールに子供を通わせることは子供にとってどういう意味を持つのでしょうか。
例えば旦那がアメリカ人で家庭内の基本言語は英語であり、放っておいても日本語が耳に入ってくる環境ならばインターナショナルスクールに通うことで英語を話せる友人が出来ることに意味はあるでしょう。母国語は英語なのですから。
ですが、自宅は日本語環境でありスクールだけで英語という状態は果たして子供にとって健全でしょうか。この環境で育つ子供はどちらの言語で思考するのでしょう。
幼少期から英語に慣れ親しむのが目的なら、自宅では英語はあえて使わずに日本語を積極的に教える。家族の会話も日本語を使う。これなら子供の第一言語はあくまで日本語であり、思考も日本語ですることになります。
中途半端が一番ダメだと思っています。自宅でも下手くそな英語で話をしてしまうと子供はきっと混乱するでしょう。大事なのは主言語を持つことです。
バイリンガルとトリリンガルの悲劇はこの主言語をしっかりと持てないことにより起こります。思考する言語は一つでいいのです。一つの言語をしっかりと深く学習するべきなのです。
アメリカ生活が長くなるともっと極端になります。放っておいても耳に入ってくるのは英語。スクールも友達も英語。でも自宅では日本語。この環境では主言語が曖昧になってしまいます。
どちらの言葉も喋れるけど、それはあくまで表層的なことであり思考できるとは限らないのです。
主言語を持てないとどうなるか。観念的な会話、哲学的な会話、抽象的な会話ができなくなります。本当に頭の良い子供ならどちらもできるかもしれません。でもそれはある意味賭けです。
世界ではAIの自動リアルタイム翻訳の実用化、一般への普及がすすみだしています。
多言語習得は今後個人の趣味としか残れなくなるのです。
バイリンガルやトリリンガルは有益な能力から特技の域まで落ちてしまう可能性があります。
他言語学習は頭脳の活性化には有用であり、それを否定するつもりはありません。
ですが、日本でインターナショナルスクールに入ってしまった日本語を母国語とする子どもたちや、アメリカで小学生中学生時代を過ごしてしまった帰国子女達の苦しみを見ていると切にそう思います。
他言語習得は一つの言語を完全に習得してからするべきなのです。
特に自身が英語学習で苦しんだ経験があり、英語習得に意味もなく憧れている親御さんには、このことを理解してほしいと思います。