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3周年 罪の日々

note3周年

気づいたらnoteの投稿を初めてから3年がすぎていたようです。
3周年からは少し遅れてしまいましたが、何度も書いてきた、僕がnoteを始めるきっかけになった彼女について、書かせてもらいます。

消えることの無い愛と罪の日々

4年前のあの日、大好きな人が死んで、僕の人生は何もかも変わりました。
たくさん自分を責めました。
自分が嫌いになりました。
僕は彼女を死なせたんです。
直接的な原因になった訳ではないとわかってるんです。
それでも、手の届く場所にいたはずの愛すべき人を救わなかった自分は、最低です。
4年経った今も僕は自分を許せません。
多分一生許せないのでしょう。
あの日から僕は心から愛や友情を捨てました。
彼女が僕の心にずっと住んでいるから、誰かを好きになっても失うのが怖くて逃げました。
友達から逃げました。
人を大切にすることをやめました。
大切にすればするほど、愛せば愛すほど、思いが大きければ大きいほど、失った時の悲しみは大きく、心は壊されます。
僕にとって、彼女ほど想える人はもう現れないでしょう。
仮にこの先恋をして結婚しようとも、僕から彼女の存在が消えることはないんです。
先日、僕の祖父が亡くなりました。
享年83の往生でした。
僕は祖父が死んでも涙は出ませんでした。
彼女が死んだ時はあんなに泣いたのに。
つまり彼女は、血縁である祖父以上に僕に何かを遺して逝ったということです。
僕は祖父に思い入れがなかった訳では無いのです。
祖父は僕をとても可愛がってくれました。
幼い僕が適当に鍵盤を叩くのを聴いて、僕にピアノをやらせるように母親に進めたのは祖父で、ピアノは今でも僕の大好きな趣味になっています。
オートレースが趣味だった祖父に連れられ、幼稚園が休みの日にはいつも祖父とオートレース場に行っていました。
地元の公園に筏があって、いつもそこに連れて行ってくれました。
奇しくもその公園に併設された霊園に眠ることになった祖父です。
これも何かの縁でしょう。
さらに言えば、祖父が逝ってしまう前、最後に顔を合わせたのも僕です。
僕は祖父が大好きでした。
なのに涙の一粒も出なかった。
祖父が死んで49日も過ぎ、その間彼女が僕に遺したものについて考えました。
一つわかったのは、僕には一生かかっても拭うことの出来ない彼女への愛があるということ。
僕は今でも彼女を愛しています。
一生愛するでしょう。
彼女の笑顔を一目でも見れるとしたら、僕は何でもします。
たとえ今の地位や、友人を失ったとしても、僕は彼女に会いたいと思う。
祖父から大きすぎる愛を注いでもらった僕ですが、それでも僕は祖父より彼女を選ぶでしょう。
僕にとって彼女はそれほどの存在なのです。
傍から見たら僕は気色悪いのでしょう。
もう二度と会えない人を一生愛するなどと、そんなことを言う奴が、気色悪い以外の何物でもないはずだ。
客観的に見れば、僕だって自分を気色悪いと思います。
それでもやはり、彼女を愛さずにいられないのです。
人にあまり心を開かず、両親すら信じず嫌い、友人もあまり作ってこなかった僕にとって、彼女は全てでした。
これからの人生が辛いものになることはわかっています。
自分なりに理解して、覚悟しているつもりです。
死にたいと思ったこともありますが、今は逆に生きようと思っています。
彼女を死なせた罪と彼女への愛を背負って、寿命を全うする。
それが残された者の責務であり、運命なのだと僕は思うのです。

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