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短編小説「夏の海、不可解な幻想」

“いつだって不可解なことは夏にある”
誰かの声が聞こえたところで目が覚めた。
 夢を見ていたのか。隣では、誰かが僕の肩にもたれかかって寝ていた。一瞬自分が何をしていて、どこにいるのか分からなかった。僕は寝ぼけながら車内を見渡す。
 
 すぐに思いだす。隣で寝ているのは僕の彼女で、僕は海へ行こうとしてこの電車に乗った。ふと車窓を眺めると、想像以上に美しい海の景色が広がっていた。
 少しボケた頭で景色をうっとりと眺めていると、急にゴーっと音を立ててトンネルに突入した。なぜか少し違和感がある入り方をした気がした。すぐに海の景色に戻る。また違和感を感じた。さっき見た景色と、まったく同じ景色な気がした。気のせいかなと思ったが、それから何度もその違和感が繰り返されていく。
 
 ハッとして、僕はようやく気が付く。この一両の田舎の電車に僕ら二人だけ。腕時計は乗車時刻で止まったままで、携帯は電源が入らない。運転席は暗いカーテンで見えなかった。
 恐怖心を覚え隣で寝ている彼女を起こした。「もう着いたの」眠たそうな彼女に僕は、興奮気味に彼女に状況を説明した。彼女も「おかしいね」と状況を理解したように、僕を見つめた。
 
 彼女の僕を見つめるその瞳に吸い込まれそうな感覚になったとき、電車が速度を落とし始め、駅に停車した。僕たちは電車を降りて改札を出ると、すぐそこの真っ白な砂浜に腰を下ろした。
 まるで、別の世界の景色みたいに、本当に綺麗で美しい海だった。「この海で死ねるんだな」僕は無意識のうちにそう言っていた。
 
 彼女は黙っていた。僕の隣で海を見つめる彼女は、綺麗な横顔が太陽に照らされて、光の加減のせいで本当に透けているような透明感を纏った。なぜだか寂しそうに見えた。
 「そろそろ行こう。」彼女がそう言って僕の手を引いて立ち上がった時、頭がぼーっとして何も考えられなくなった。
 



 気が付いたら、僕は海の中にいた。息が出来ない、苦しい。波の中でもがきながら、いつの間にか僕は今日の出来事の真理を理解していた。
 電車に乗ろうとしたところから思い出す。僕は死に場所を探して、一人であの電車に乗った。たしかに一人だった。もともと僕には恋人なんていない。
 今日、あれからずっと僕の隣にいるこの子は僕の彼女なんかじゃない。見たこともない赤の他人だ。

 でも、この子もきっと僕と同じなんだと思う。夏が好きで、海が好きで、死にたいと願った。同じおもいを抱えた二人が偶然にも近づいたことで、“夏の不可解”を、呼び寄せたのだ。
 
 “夏が好きなら、夏の中で死んだらいい”
誰かの声が聞こえた。たしかに好きな季節の幻想の中で死ぬのも悪くはないかもしれない。
 だけど、この子はどうする。隣で もがいている知らない子。でもたった数時間そばにいただけだが、本気で恋人だと思い込んでいた。僕にはなぜか特別な子に感じた。

 思い出せば彼女は終始落ち着いていた。彼女は自分がこれからどこへ向かっていて、何をするのか分かっていたのだと思った。あのループした電車の中で彼女がおかしいと言ったのは、慌てていた僕に向けてだったのか。
 彼女の落ち着いた眼差しや、浜辺で見た横顔、僕の中の少なすぎる彼女との思い出を振り返る。ずっとどこか、悲しそうで寂しそうだった。
 
 夏の海しかないこの世界で、彼女と二人きりで、ここで生きたいと願ったら、夏の魔物は願いをかなえてくれるだろうか。
 
 ここまでたどり着くあの二人きりの電車で景色がループして、ここへの到着が遅くなったのは、僕が本当は死にたくなかったからかもしれない。
 僕は電車がループしてから今まですべてが不可解だったけれど、彼女はなぜまだ海へたどり着けないのか、なぜまだ死ねないのかが不可解だったのだろう。
 
 僕は、力尽き沈んでいく彼女にキスをした。
 「僕とここで二人で生きよう。暑くてどうしようもなく美しいこの季節の中で」彼女にそう訴えながら。
 
 気が付いたら真っ白な砂浜で横になっていた。 
「どうやら夏の魔物にとらわれたみたい、不可解ね」
横にいる彼女はゆっくり目を開けて、つぶやいた。

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