「心配」という言葉
「心配」という言葉が適切に相手に届くかどうかには、その言葉を発する人と受け取る人との関係が大きく影響すると思っている。
例えば、例えというか実話なのだけれど、一人暮らしをしていた時に親から届くLINEを1週間くらい返さないことがよくあって、気付いたら1週間経ってしまっていたくらいの感覚でいたら返信しないことにキレられることが毎度のことで。
そんな時に「心配するでしょ」と言われても、「心配」を理由にキレられたら純粋な「心配」の気持ちはこちらには届かなくて、毎回毎回なんか言ってるくらいにしか思っていなかったのよ。
だから今までは「心配」という言葉を貰っても、その言葉に対してどういう気持ちを抱けばいいのか全然分からなくて、同じことを繰り返しちゃったりして。
なんだけど、昨日久しぶりに負の感情で沈み込んだ時に優しい人がメッセージを送ってくれた上に「心配」だと言ってくれて、最初は少し受け取るのに時間がかかったけれど、落ち着いてからもう一回その言葉を見返した時に浮かんだのがその方が文字を打つ時の顔だった。
直接会ったことはないから本当に顔を思い浮かべたわけじゃないけれど、メッセージを打つ時にどんなことを考えてどういう表情で送信してどんな気持ちで返信が来るかとかソワソワしてたのかなって考えたら、急にグサっときた。「心配」ってこういうことなんだって。
フォローのボタン1つで繋がっている関係だけど、それでも遠い場所にいる人が「心配」してメッセージをくれたことのありがたみをひしひしと感じた時に、初めて「心配」という言葉の持つ力を知れた気がする。
心配されるって嬉しいものだね。心配させているから喜んではいけないのかもしれないけど、純粋に心配という気持ちを受け取ったらすごく心が温まるんだなってすごく実感した。
「心配」という言葉は発する側と受け取る側の関係が大きく影響するものだと思う。
「心配」という言葉を送るまでに相手がどういう気持ちを抱いたのかを想像してグサっときたことは、自分がその言葉を純粋に受け取れたことの証であり、それを送ってくれた人の言葉に疑いを持たなかったことの証であり、わざわざ送ってくれたその言葉を受け取ってもいいんだと思えるような安心できる関係?である証なのかもしれない。
優しく扱われた「心配」という言葉はとても温かくて、疑いを持つことなく受け取れて、送ってくれた相手のことを考えて少し痛みを感じるようなものなのだと、今回初めて知った。
心配という言葉は案外悪いものじゃないらしい。
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