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福岡ドームでのバイトと上京

さて、また待ち受けるアルバイト先探し、いくら探せどなかなか見つからない。

当時、姉に
「あんた何しようと?1日4時間アルバイトして生きている気がしてるの?」と言われ躍起になった僕は、掛け持ちバイトをすべく、近所のコンビニなどに直談判していた。

それでも見つからない、年齢の壁。

究極、僕は2歳年齢詐称して、18歳として働き始める。
子供の頃から通い詰め大好きだった福岡ドームホークスタウンの、ホークスグッズショップでのアルバイトだった。
60人は在籍しているだろう大きな規模感のアルバイト先、何歳と聞かれて、
「18歳です。通信制の高校に通っています」で通していたが、
大学1年生のなっちゃんに、
「あんた1年生でしょ?同じ歳だから今度敬語使ったら、2度と話さないからね」と言われ、僕の年齢の詐称は、1つサバ読みの18歳から、2つサバ読みの19歳になった。
憧れのセブンティーンは僕の人生から端折られた。

子供の頃から通っていた場所だけに、どの商品がどこに置いてあるかに詳しく仕事にはすぐに慣れた。大学1年生と同じ歳という設定はそのまま定着し、2つ上だけど、敬語では違和感があることになりタメ口をきいて過ごした。

この頃、アルバイトが始まる前に必ず行われる「朝礼」がピリピリしたものであり、突然振られる、みんなの前に出てはつらつと唱和する企業理念に緊張を覚え始めた。

始まるとわかると、当てられるわけでもなく、緊張で吐きそうで逃げ出したかった。時に、「朝礼に出るより、店を捌いたほうがいいでしょ」と朝礼を避けたこともあった。
これが20歳で社会に本格的に出た後に診断された極度の緊張症「SAD(社会不安障害)」の序章だった。

年上の先輩たちとはうまくやれ、ホークスの調子も良く年齢の割には給料も良かった。その時で、13万円前後くらい。
1年後の設定上、1つ下の後輩が入ってきた。
これが厄介だった。本当は1つ上の人たちだからだ。
仕事を真面目に進んでいたせいか、結構尊敬の眼差しで見られた。
何度も「僕にはタメ口でいいよ」と言ったが、敬語のままだった。
なんだか申し訳なかった。
これを数年後にカミングアウトした時、友達をたくさん失った。
祖父と祖母は相変わらず「中退」の嘆きを会うたびに言っていたが、
この頃、毎日深夜まで働く僕を見て、父は、祖父母の叱責に関して、
「もういいだろう!ちゃんと頑張って働いているよ!」と庇ってくれるようになった。

その頃、サラリーマン生活真っ只中の働き盛りの本部長である父が、
単身赴任先の東京から戻り、みんなで生活することが始まった。
仕事でピリピリする父は時に母に冷たかった。
母は怯え、父が帰ってくると雲隠れするように、たぬき寝入りするようになった。
不況が始まり、少し歳の離れた姉も兄も大学生、浪人生と学費にお金がかかり、
生活が厳しく家庭は崩壊をし始めた。

母の状態を見て、母と姉と話をし、別居した方がいいんじゃないかと泣きながら言ったのは、18歳の僕だった。
夜逃げをするように、母と姉は家を出た。
父が電化製品など持っていっていいと話してくれた為、
冷蔵庫から洗濯機、照明までありとあらゆるものを新居に運んだ。
一夜城だった。
正にもぬけの殻状態。
僕は父が心配で、
「別居は勧めるけれどパパが心配だから、僕は両方の家を行き来するよ」と言った。
母も姉も賛同した。
真っ直ぐに続くバイパスの先に、母と姉の家はあった。
僕の部屋も用意してくれた。最初のうちは僕も家賃を払った。
残念なことに1週間は、割り切れずどちらかの家に4日間、そして3日間の割り振りになる。どちらの家に行っても美味しいご飯を作ってくれて父にも母にも可愛がられた。
でも、「これから父の家、もしくは母の家に行くね」と話した時はどちらも寂しそうだった。

原付バイクでバイパスを30分進む中、僕は人知れず泣いた。
どちらの家に行くにもぐっと胸を締め付けられた。

一人になりたかった。
お金を貯めて東京に行って一人で暮らそうと決めた。
役者になりたいと言った口実で上京の許可を得た。
アルバイトで50万円貯めたら、東京に行くタイミングだと決め働いた。
父も母も大好きだったが、やはりこの生活は限界だった。

17歳の夏に僕は東京に一人移り住み一人暮らしを始めた。

好きになった子は、長崎訛りが抜けない同じ歳の子だった。
本当は、2歳年上だけど、下の名前で呼び捨てにしていた。
初めて行ったミスチルのコンサートが最初で最後のデートだった。
年上の先輩には、飲んではいけないのに、バーやカラオケなどで朝まで遊んだ。

他にも好意を寄せてくれる人はいたが、東京に行くと決めていた僕には恋愛などしている場合ではなかった。

上京と共に17歳(19歳という設定)で福岡ドームのアルバイトを辞めた。

順風満帆で幸せだったが、この生活は長くは続かない。続いてはいけないと思っていた。

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