私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(4)
言語聴覚士は、言語障害に対するリハビリだけではなく摂食・嚥下機能障害に対するリハビリも行う専門職だ。食べたり、飲み込んだりすることが難しくなったり上手くできなくなった患者に対してリハビリを行うのだが、命に直結する分野であるため私自身も、他スタッフも[摂食・嚥下機能=食事]に関しては神経を遣っていた。
「高齢者が喉に餅を詰まらせて死亡」など聞いたことがあるように、普段何気なくしている[食べる]という行為は、本来は精密な動きが繰り返され安全に行うことができている。しかし、そこに何らかの負の要因が加わることで途端に命を落とすこともあり得る行為なのだ。
病院でも施設でも、成人分野でも小児分野でも、この摂食・嚥下障害に対するアプローチは実際のところ非常に需要が大きく、責任も大きいのが現状だった。私も同様に、需要と責任の大きさを感じていた。日々、聴診器を持ち患者の喉に当てて、飲み込む音や呼吸の音を聞き、目に見えないその動きを想像し、数値で確認できるバイタルのほかに、患者の表情、喉の動き、呼吸の様子、声の質など有りとあらゆる情報をキャッチしようと五感を研ぎ澄ましていた。
経験を積み重ねるうちに、こんな感覚が生まれた。
「この感じ、食べられるな」
「この感じ、危険だ、辞めたほうが良い」
「この感じ、イケるな」
「この感じ、今日じゃないな」
という、根拠の無い私しか分からない[感覚的な判断]だ。命に直結するということはもちろん十分に理解しているし、何度も怖い経験もした。けれど、私はこの感覚が経験の数と共に強くなっていった。しかし、刑事ドラマでもあるように「何だかこっちに犯人がいるような気がするんです」では、捜査は進められないし許可もおりない、先輩刑事に怒鳴られるのがオチだ。
さて、私はどう選択したか。答えは、ギリギリのラインで自分の[感覚的な判断]も採用する というこれまた私にしか分からない選択だった。
実際には「根拠が欲しい」のが現場、本人、家族であり、結果として私の意見は何度も何度もお蔵入りとなった。そして「やっぱり食べられたのに」「やっぱり、辞めればよかったのに」という私の想いが積み重なっていった。とは言え、すべては結果論であって、本当は何が正しくて正しくなかったのか、どのタイミングで判断すれば良かったのか、分からないことがほとんどで[その答えは神様だけが知っている]というような世界だった。だから、自分の意見を表に出さないことも必要であり、それが正しい時もあるんだと私なりに納得させていた。
けれど、、、私の中に存在し続けていた“違和感“がまた、徐々に頭を出し、顔を出し、声まで出してきた。「これでいいの?」と…。
[自分の声]や[自分の感覚]は横に置くことで、人とのバランスも取れて働きやすくなった。仕事もスムーズにこなせるようになった。自分自身、大きな気持ちの落ち込みなんかもなく、比較的穏やかに過ごすことができていた。
「何だろう、この感覚。…いや、またこの“感覚“ってヤツじゃ人は説得できない、人生も変えることはできない。だから、この感覚は…放っておこう」
という思いと、
「違う、なんか違う。いいの?このままで」
という思いが私の中で出ては消え、出ては消えしていた。
ある日、直属の上司の実母が、入院先の医師よりもう口から食べることはできないと言われたらしく、上司は「食べられる気がする。食べるのが好きだったし、ずっと点滴で過ごしたから食べるの忘れちゃった感じで、食べ始めれば大丈夫な気がする。何か私が母にできるリハビリはないか、教えてほしい」と希望を胸に私に相談してきた。プライベートに謎が多かった上司が、母親のこと話すこと、相談することなんてもちろん初めてだった。
そして、その時が来たのだった。
(5)へ続く…