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「部室みたいなやつ」|未来子さんの記事を読んで

この本を読んでたら

モヤモヤの正体|迷惑とワガママの呪いを解く(尹 雄大)
https://mishimasha.com/books/moyamoya.html

しとしとの松宮未来子さんの記事が読みたくなって読み返してた。

「飄々」〜松宮未来子さん〜|しとしと
http://shitoshito.com/sishou-mikikomatsumiya-fistvolume/

しとしとにはいろんな生き方の記事があるけれど、
未来子さんの記事はとくに自分の生きたい姿に通ずるところがあって、
すき。

私はコワーキングスペース、イベント、ゲストハウス、みたいな場所が苦手。いろんな人との出会いがあって、なんとなく馴染めなさを感じてしまう瞬間なんかが多々あるから。
meet up!みたいなイベントとかめちゃめちゃ苦手。すみでこそこそ飲んで帰るタイプ。
もとツアー運営会社がなにいうとんじゃだけど、苦手。

でもひとはすき。いい出会いやつながりがひとを支えてくれたり、なんとなく元気づけてくれることも知っている。
だから、ひとがすき。誰かのことを想うことも好き。
コワーキングスペース、ゲストハウスが苦手だなんて言うけど、そういう排他的さ、を感じさせず、自分の居場所を形作ってくれるような場所はすごくいいなあと思う(もちろん、私が馴染めない場所も誰かにとっては居場所だと思ってる)。コトブキ荘も(訪れたことはないけど)そんな場所なんじゃないかなあとこちらの記事から感じている。

未来子さんがこんなことをおっしゃっている。

そういう場所(常に開いている場所)、あってほしくない?
部室みたいなさ。行ったら誰かいるっな思える場所があってほしいし、増えて欲しいなって思っている。
そういうところでだらだらしゃべったり楽しいことしたりしているところに、文化的なものがあると思う、きっと。なんとなくだけど。
だから私はあんまり、ワークショプやろうぜ、とか、ファシリテーター!とか、やらない。
任せている。

この間、とある面談で「おじまって”部室”みたいなやつだなって思ってた」とおっしゃっていただいた。
そのときは褒められたんだか、けなされたんだか、よく分からなかったけど、今思えば、嬉しいなあと思う。
”部室”ってことは、誰かの居場所であれたということ、きっとそのなかで聞こえていた声があるんだろうなあということ。
きっと皆が各々に自分のいたいようにあれる空間をつくれていたんだということ。
自分で褒めすぎかもって思うけど、笑
もしかしたら私も”コトブキ荘”のような空間を生み出していたのかも知れないと思うとすごく嬉しい。
ふと思い返して、あの頃の写真を眺めていた。
いいチームだった、と言い切れるほど、お互いを支えきることは出来なかったけど、でも、楽しかった、楽しかったと思う。すごくいい”場”だった。

今の会社でも
「おじの存在が心の支えになったよ」といってくれる方がいる。
リモートワークになったらあえなくてさみしいと言ってくれる。
もしかしたら気が付かないうちにその人の部室になれていたのかもしれない。

将来、この道を進みたい、みたいなところはまだまだ見えないけど、
ーひととひとの”余白”になりたいということ
ー誰かの背中を押せるひとでいたいということ
ー誰かの想いを形にできるひとでありたいということ
ーやさしいひとでありたいということ
1つには絞れないけど、こんなありかたでありたい、
こんな形でひとと関わり続けたいという像はある。
まだまだ、口だけになっちゃっているところもあって、
(きっと”部室”のようであれたのも、あの頃の相棒や同期のおかげであったことは間違いない)
だからこそ、そういう1つ1つのキーワードを大切にいまを歩んでいたいし、そのなかで感じる自分の心の機微を大切にしたいなあ。

と、未来子さんの記事を読んで思いにふけっていた夜でした。
いつもいい気づきをくれる、しとしとのふたりに感謝の気持ちをこめて。


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yn
ほんとにほんとにありがとうございます…!