【日向坂46】鮮烈なデビューが生んだ眩しいイメージと副作用
●はじめに
私は日向坂のファン、いわゆるおひさまである。
私の日常を照らしてくれた日向坂がもうすぐで5周年を迎える。デビュー時から振り返って、デビュー時と現在の日向坂についての自分の考えを文字に起こしてみようと思い、初めてnoteに文章を綴っている。
もしこの記事を読んでくれる人がいるならば拙い文章であることを先にお詫びする。
●鮮烈なデビュー
2019年3月27日1stシングル「キュン」で念願のデビューを果たした日向坂。
フレッシュでキラキラしたMVと曲調、そして可愛らしいメンバーの表情やダンスに多くの人が目を奪われただろう。いつ見ても色褪せることのない完璧なデビューシングルであったと断言できる。
デビューが発した光は、苦汁を飲んだひらがなけやき時代という背景も相まってより輝きを増し、【日向坂46】というグループのイメージを世間に印象づけるには十分すぎるものであっただろう。
一切思想の入っていない「ただ君にキュンとしたんだよ!」というシンプルな歌詞が日向坂の明るさ、まさにハッピーオーラを直球で表現している。
当時の欅坂のような強いメッセージ性を含んだ歌詞とは対象的で(欅坂もファンでした)とにかくハッピーさを届けることを目的とした歌詞が聴く側の心に明るい光を照らしたものだった。
2ndシングル「ドレミソラシド」も「キュン」と同様に「今まで意識していなかった君を好きになったんだ!」というシンプルな歌詞が軽快な曲調の上を滑り、学校のプールを舞台とし、青色の制服を着たメンバーが踊るMVは青春感溢れるキラキラしたものである。
「キュン」での鮮烈なデビューにより印象づけられた日向坂の明るいキラキラしたイメージは「ドレミソラシド」でより強固なものになったと思う。
●最近の曲調
最近の日向坂の曲調は「キュン」「ドレミソラシド」とは異なる。
例を挙げると
6thシングル「ってか」では「外見ではなく内面を愛してほしい」という女性視点の曲で「キュン」は男性視点の曲だが、「ってか」はその男性からは年、心が少し成長した女性の恋心を歌う曲である。
7thシングル「僕なんか」は落ち着いた曲調で恋でのすれ違いや傷つく心を歌う切ない曲である。最終的には「僕なんか 僕なんか もう二度と言いたくない」と前向きな気持ちの歌詞で締められる。
8thシングル「月と星が踊るmidnight」では心の葛藤や決心といった恋愛とは関係のない強い意志が歌詞に見られる。
最新曲である2ndアルバムのリード曲「君は0から1になれ」もタイトルから分かるようにメッセージ性があり、他者を鼓舞する曲である。
9thシングル「One choice」や10thシングル「Am I ready?」のように明るめの曲調もあるが「ってか」と同様に「キュン」や「ドレミソラシド」の青春時代の恋から少しだけ年を重ねた後の恋を歌っている曲に感じる。
ここまで振り返ってみて日向坂の曲は表題曲が更新されるごとに歌詞に登場する人間の心が成長する過程が書かれていることが分かる。
「君にキュンとした!」という明るい青春の恋から「外見ではなく内面を愛してほしい」と変わり、明らかに恋愛観の成長が感じられる。そして心の葛藤や他者への鼓舞といった恋愛とは関係のない心の成長も見られる。
少し話が逸れるが、最近の櫻坂は自由→承認欲求への葛藤といった種類の心の変化が地続きのストーリーとして表題曲になっている。
●イメージとの乖離
去年2023年の日向坂は人気が低迷した年だったと言われる。地方公演の空席や紅白落選があった。
私がこれまで「キュン」「ドレミソラシド」と最近の曲とを比較してきたのは人気低迷の理由がここにあるからだと思っているからである。
冒頭に書いた通り「キュン」「ドレミソラシド」は日向坂の明るいキラキラしたイメージを世間とファンに強く焼き付けた。その焼き付いたイメージと最近の曲との乖離が起こっていると感じている。
要するに「キュン」「ドレミソラシド」の明るいキラキラした青春感が持つ大きな力が日向坂のイメージを強く形成したことにより、そのイメージと異なる曲の人気が伸びないという副作用が生じているのではないかということだ。
実際に「キュン」「ドレミソラシド」のような曲をもう一度望むファンは少なくないように感じる。だが、果たして日向坂が最近の数個の表題曲でまたそのような曲を出すべきだったのかがこの記事で触れたかったことである。
結論としては「キュン」「ドレミソラシド」のような曲は出すべきじゃなかったと思う。
●青春の期限
デビューからもうすぐ5年が経とうとしている。この期間メンバーも勿論年を重ねているわけだ。あの頃10代だったメンバーはほとんど20代、20代前半だったメンバーは20代中,後半である。
5年という歳月は人を成長させる。ただの1ファンであり、年齢も大して重ねていない外野の人間が言うのはおこがましいことだと理解しているつもりで言うが見違えるほどにグループもメンバーも成長した。曲の内容も並行して変化している。
青春は未熟な状態を表す青と始まりの季節の春が合わさった言葉である。
青春には期限がある。だからこそ、青春は刹那であるからこそ、美しいのかもしれない。「キュン」「ドレミソラシド」の青春感溢れるキラキラした曲調とMVは、デビューというまだ未熟な状態で希望に満ちた始まりの瞬間だったからこそ輝きを増し、多くの人々の心にひだまりを作ったのではないだろうか。
デビューから大きく成長した今の日向坂に青い未熟な雰囲気はない。もちろん良い意味で。だから「キュン」「ドレミソラシド」のような曲は出すべきじゃなかったと思うのだ。
●おわりに
私も「キュン」「ドレミソラシド」に魅せられ、日向坂を好きになった人間の1人である。コロナ禍で家にいる時に光を求めて聴いていたのを思い出す。
だからと言って最近の曲が好みじゃないかと聞かれたらそんなことはないし好きである。「ガラス窓が汚れてる」最高だよね…
最近はなっちょが卒業して、きょんこの卒コンがある。そろそろ4期生が表題曲に入ってくる頃なのかもしれない。もしかするとドレミソラシドみたいな爽快感のある曲がまた聴けるかも、なんて期待もある。
日向坂46の歴史の転換期にファンとして立ち会えることは嬉しい限りである。
「見たことない魔物」のMV見たとき、新しい時代が始まるんだろうなと胸が高鳴ったことを覚えている。
最後にここまで読んでくれた人に感謝したい。ありがとうございます。
日向坂に興味のない人でもおひさまでも誰かの目に止まっていたらいいな。
ユニ春楽しみですね、 では。
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