立ちかえる場所としての音楽
今朝、自分のどうにもならなさに不甲斐なくなって、何者かになれていない現状に絶望して、大泣きしてしまった。しくしくと泣くんじゃなくて、わんわんおんおんとしゃくりをあげて泣いた。
情けない話だけど、25歳にもなって(ついこの間誕生日を迎えて歳をとりました)、まるでガキみたいな泣き方だった。涙も嗚咽も止まらないし、寝っ転がって泣いてるからか鼻水が詰まって上手に呼吸できないし、最終的に這いつくばりながらティッシュを抱えてオエオエいって鼻をかんで泣き続けた。
定期的に、猛烈な不安に襲われてどうしようもなくなる時がくる。自分でもそうなる理由がわかんないし、特にきっかけがあるわけでもないから防ぎようもない。天災みたいに突然降りかかってくる不安になす術もなく蹂躙されて、エーッ今の時期は困るんですけどーッとか思いながら、布団に丸まって生産性のない二酸化炭素排出機に数日間なり下がるのがお決まりのコースだ。超最悪。
最初の数日は大概ベッドに寝っ転がりながら、どうしようもならないことばっかり考える。自分の嫌なところ、醜いところ、過去の嫌だった事、今までの失態。そういうのを思い返しては文章を書いたり、整形を調べたり、思い出したように大泣きして、泣き疲れて眠ったりしてる。
そこにちょっと余裕が出てくると、私は決まって音楽を聴く。大体は倉橋ヨエコ。時々Cocco。これは私の持論だけど、倉橋ヨエコを聞くことでしかどうにもできない気持ちが絶対絶対ある。
倉橋ヨエコは、私の1番汚くて醜い部分を受け止めてくれる存在。最大限に落ちてる時聴くのは「夜な夜な夜な」なんだけど、なんだかんだ1番聴いてるのは「泣き止め剤」だと思う。「朝焼け」も同じくらい聴いてるかも。
そう考えると、音楽は、落ち込んでる時だけじゃなくて、色んなシーンや気持ちやカラーに寄り添ってくれるなぁと思う。音楽でふと思い出せる記憶もあるし、暖かさもあるし、痛みもある。
大森靖子と相対性理論は不登校だった高校時代のことをまざまざと思い出すから、心が痛くなって中々聞けない。泉まくらは大体大丈夫なんだけど、「YOU」だけは元恋人との記憶があるから一生聴かん。GO!GO!7188に至っては、流れてきたらその場から逃げ出したいまである。
逆に言えば、楽しい記憶が上に乗ってる曲もある。フラワーカンパニーズの「深夜高速」は昔よく飲んでた友達の熱唱を思い出して今でも面白いし、andymoriの「投げKISSをあげるよ」はダメダメな時の私を癒してくれるお決まりの曲だ。
音楽はどんな時でも、自分があの時の自分に立ちかえる場所になりえる。
私にとってのダメな曲が誰かにとっての救いの曲かもしれないし、私にとっての幸せな曲は誰かにとっての辛い曲かもしれない。雨の日の曲、晴れの日の曲、ダメな自分の時の曲、調子が良い自分の時の曲。皆んなきっとそれぞれプレイリストがあって、いろんな曲にいろんな思い出が載ってる。そう思うと、すごく不思議な気分になるし、なんだか少し救われる気持ちだ。