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本当に「理解」しているのか?
私たちは、日々様々な出来事に遭遇し、その原因と結果について考えます。
例えば「なぜ、私は失敗したのか?」 この問いは、私たちが世界を理解し、未来を予測するために欠かせない「因果律」への探求心から生まれます。
「因果律」とは「事象と原因の関係を指す原理」で、哲学や物理学の分野で用いられます。しかし「因果律」を私たちは本当に理解しているのでしょうか?
物事を理解する方法
方法は様々です。複雑な現象を細分化し、一つずつ論理的に分析していく方法もあれば、自身の経験を通して直感的に理解する方法もあります。
経験こそが因果関係を認識するための基盤となると主張した哲学者もいます。しかし、過去の経験は場合によっては偏見となり、新たな理解を阻害する可能性があります。偏見にとらわれず、物事を見ることは難しいではないでしょうか?
物事を細かく分解しすぎると、全体像を見失い、その本質を見誤るリスクがあると指摘しする哲学者もいます。物事全体を包括的に捉えることは重要です。
部分と全体、論理と経験、これらの相反する要素をどのように統合し、バランスをとっていくかが、真の「理解」への鍵となります。
と言葉では簡単に書いていますが「因果律」を理解するとはどういうことでしょうか? 私にとっても様々なな経験は、どのように理解を形作っているのでしょうか?
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![柏木誠|プロジェクトデザイナー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5692127/profile_e09fa828180528d7dbbc6bba54f06e9a.png?width=600&crop=1:1,smart)