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文化人類学との出会い、組織マネジメントとの共通点
文化人類学という分野に興味を持って、かれこれ10年以上が経ちます。
昨日も、書店でこんな本に出会って、思わず買ってしまいました。文化人類学の入門書です。
本書のあとがきにこんなことが書いてありました。
それぞれの学問分野には、必ず分野ごとの独自の問いがあります。経済学であれば、「経済行動の一般的法則の発見」、心理学でいえば「人間の心理の特徴の解明」だったりします。では、文化人類学は何を探求しようとしているのでしょうじか。
第一に、文化人類学は「人間の文化がどれほど多様なのか」を問います。
第二に、文化人類学は多様性を踏まえたうえで見いだせる「人間としての共通性」について探求します。
第三に、文化人類学は「文化的な多様性がどのように変化していくのか」を探求します。
これにはハッとさせられました。この10年来で
おもしろいと思い続けてきたことだったのです。それも、組織マネジメントという自分の仕事にかなり通ずる問いだと思いました。そこらへんを言語化してみようと思います。
私のキャリアのはじまりと、文化人類学との出会い
文化人類学との出会いは、大学3年生の冬でした。
当時、ぼくは周囲よりも先に就職活動をはじめて差をつけようと思っていました。大学OBが多数就職している金融機関や商社などの説明会に足を運び、ああ、1年後にはこういうところで働いているんだろうな…などと思いを馳せていたのです。
しかし、就職活動も真っ只中となった折、急病を患うことになりました。命に関わるようななにかではなかったのですが、呼吸困難になったり、身体的苦痛を伴うものです。その病に気づいたときも、大学でゼミを終えてからスーツで説明会に向かう道すがらでした。急に体がだるくなって、まるでおじいちゃんのように道端に座り込んでしまったのです。思えば、呼吸がうまくできなくて酸素が身体にまわっていなかったのでしょう。
帰宅して念の為…と思い町医者に駆け込みました。病名を伝えられ、一言「いまから緊急入院ね」。バタバタと市内の病院に入院し、緊急手術をすることに。それだけでは飽き足らず、その後全身麻酔の手術まで行ってなんとか治療が進みました。
淡々と経緯を書いてきたものの、当時の自身の心境を表現すれば絶望感がもっとも適していたと思います。はやめの就活で得たなんとなくのアドバンテージもなくなり、所属していたサークルのメンバーにも迷惑をかけていました。全身管でつながれて身動きが取れないなか、病室の天井をじっと見つめる日々。なんでこんなことになってしまったのだろう。これから自分はどうなってしまうのだろうか…。ぼんやりとした意識に埋没しそうになりながら、絶望に打ちひしがれる思いでした。
だいぶ快調になってきた頃、手元のiphoneで時間つぶしにネットサーフィンをしていたとき、運命の出会いを果たしました。それが、スゴ本という書評サイトです。
正式には、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」というタイトルの書評サイトです。未だに拝読していますが、ここで紹介されていたのが「銃・病原菌・鉄」でした。分厚いし価格も高いけどおもしろそう、本を読むのもこんなことがないと読まないか…と親に頼んで買ってきてもらいました。
本書は、著者であるジャレド・ダイヤモンドがニューギニアの政治家ヤリとの会話からはじまります。ヤリは聡明でその頭脳だけで見ればいわゆる西欧先進国の人材よりも優秀なくらい。そこでヤリはこう言います。「なぜ西洋人は裕福で私達はそれほどの富を有していないのか?」。
つまり、先進国・発展途上国間の差はなぜ生まれたのか?と問うたのです。その問いに答えるべく、世界中を縦横無尽に駆け巡りながらリサーチと文献を通じてその原因は「銃・病原菌・鉄」だと仮説を投げかけました。
衝撃的でした。自身の価値観が揺さぶられました。その仮説の広がりと検証範囲の広さ、深さ。自分には理解しきれないほどのディテール。うまく言葉にはできていなかったのですが、読後の入院中はずっとこの感覚を持っていました。
結果としては、退院したあとは上京して就職し、その想いも相まって海外で職を得て経験を積むことになりました。あれからいろいろありましたが、結局ぼくの人生は同書を起点に多大なる影響を受けていたといえそうです。
文化人類学は組織マネジメントに通ずる
さて、本題。さきほど引用した部分を再掲します。
第一に、文化人類学は「人間の文化がどれほど多様なのか」を問います。
第二に、文化人類学は多様性を踏まえたうえで見いだせる「人間としての共通性」について探求します。
第三に、文化人類学は「文化的な多様性がどのように変化していくのか」を探求します。
これらの問いは、まるごと組織マネジメントの問いです。
あれから10年以上が経過し、ここ数年、いわゆるマネジメントの仕事をするようになりました。日々、興味深さを感じながら取り組んでいますが、それは文化人類学の問いが通底しているからでは?と感じています。
まず、組織を動かしていくには、組織にどのような行動原理があるかを理解することが先決です。マックス・ウェーバーは「宗教はエトス(=行動パターン)である」と言いましたが、まさに社会集団としての組織には暗黙の行動パターンや価値判断基準があります。
それを理解することが、組織理解ですし、よりその行動を良くしていくことがマネジメントの仕事のひとつでもあります。これは、ひとつめの問いである「人間の文化がどれほど多様なのか」そのままなのです。
組織の行動パターンを理解したうえで、もっとよりよくしていこうと考えると、自組織だけでなく他部署との関係性も考慮する必要が出てきます。自組織は、企業のなかにある一部署にしか過ぎません。連携をとりながら、多様な人々とコミュニケーションをとりながら仕事を進めていく。そのためには、他組織の理解も欠かせないわけですが、他組織も独自のカルチャーを持っているものです。
自組織、他組織のカルチャーを深く理解し、共通点を見つけてそこに目をつけていく。これは組織間コミュニケーションに関与し、動かしていくための基本動作です。まさにふたつめの問い、「人間としての共通性」の探求にあたります。
最後に、文化人類学は「文化的な多様性がどのように変化していくのか」を探求するものだといいいます。自組織、他組織を包括しながらそれらを変化させていく、あるいは、自発的な変化を観察し、あるべき姿を探求すること。これもマネジメントの仕事です。
これらの問いは、一足飛びに答えて終わり、という世界観にはありません。教科書的には記述されているものがあるかもしれませんが、実体験者としてはそれ以上の深みがある。だからこそ、おもしろい。そのおもしろさは文化人類学と組織マネジメントに通底しています。
おわりに
文化人類学との出会い、現在の仕事へのつながりについて書いてきました。改めて記述することで、自分のなかでも「小さな物語」(自分の物語)の解像度が上がりました。人生はこの物語を描いていく旅です。もっと解像度を上げていきたい。
今日はここまで。お読みいただきありがとうございます。