ヴィパッサナー瞑想はいいぞ
気がつけば、マインドフルネスという言葉が本屋に溢れて久しい。
ただ、瞑想といってもよくわからない人のほうが多いだろう。瞑想の方法論の本も出たりしているけど、手法の表層を撫でるだけでは実践も継続もむずかしいものだ。むしろ、最近はファッションにさえなってるんじゃないか。
ぼくは、瞑想を難しくしているのは、本質的な理解がないままに手法だけの話をしているからなんじゃないか、と思う。
なぜ瞑想がいいのか、なにに効くのか、それって神秘主義的なサムシングじゃないのか。そこらへんが解き明かせないことには、瞑想ってよさそう、やってみよう、3年続きました、なんてことはほとんど起きていないはずだ。
そこで瞑想に興味がある人には、ヴィパッサナー瞑想をおすすめしたい。
ヴィパッサナー瞑想とはなんぞや
ヴィパッサナー瞑想とは、2500年前に発足した原始仏教の思想に根ざした瞑想手法のことだ。
呼吸をし、それを観察を続けることで、最中に湧き上がる感情や思考を見つめる。見つめ続け、反応しないことを繰り返すことで、自身の感情や思考の条件付けを発見し、その条件を解きほぐして、自由になっていく。
※公式の定義は公式Webサイトに譲りたい。
この話だけ聞くと、まあ怪しいというか、そんなスピリチュアルなものはちょっと…と抵抗感が生じるのではないか。確かに仏教思想に根ざしたものなので、多少なりとも神秘主義的な解釈も混じっていることとは思う。
しかし、そもそも仏教思想はある意味「科学的な態度」の思想だとぼくは思っている。
「自分はなぜ存在するのか」「自己とはなにか」といった実存の問いに対して、キリスト教やイスラム教といった他の世界宗教が超越的な「神」の存在を前提としている一方、仏教は「いや、別に自分なんてないんだけど…」というスタンスなのだ。
自分なんてない。そもそもこの世は無常で、自分の情動や思考も過去のトリガー条件に基づいて再生されているものだ。だから、その根本の条件付けに気づいて反応しないようにすれば無常であることも理解できるよ。そんなノリなのが仏教である。
この種の論については「超越と実存」を参照されたし。現役の仏僧の方が著者の、ものすごくわかりやすくて、良い本です。
瞑想合宿の意義
ヴィパッサナー瞑想は、世界各地で体得できる合宿が開催されている。具体的には2週間合宿所にこもりっきりで、瞑想を1日10時間やり続ける。スマホも持ち込めない、PCで仕事もできない、本もお菓子もだめ。そんな状況で修行することで、否が応でも実践の手法を体得し、意味を理解していく。
冒頭で「瞑想はその意味をちゃんと理解していないとポーズになる」と述べたが、2週間山ごもりして徹底的に実践すれば、その意味はちゃんと理解できるようになっている。
なるほど、目をつぶって座っているだけなのに頭の中がごちゃごちゃしてきたり、嫌な感情が去来するのはこういうことなのね、自分はトリガー条件(Aという事象が起きたら、Bという処理をするという条件式のこと)の自動処理を永遠に再生し続けているだけなのね…とたぶん誰でも理解ができる。
ただ、その理解に痛みは伴う。1日10時間座禅組むのは苦痛でしかない。足がしびれてエグいことになる。もちろん、大前提退屈である。スマホで暇つぶしもできないし、友達と喋ることも、その場にいる人と交流することもできないのだから(最終日終わったら交流時間はある。そこらへんは結構現代的)
「人間ってトリガー条件の集合体なのね」と唐突に理解した経験
ぼくは過去2回にわたってヴィパッサナー瞑想を体験している。
両方とも転職の合間に2週間休んで行った。知人が体験記を書いていて、これはなんだかおもしろそうだと思って行って、開始直後に後悔し、そして終了後にものすごく良かったと振り返ったことを覚えている。
まず修行中はとにかく座るのが辛かった。足がしびれる。これも修行を積めば、足がしびれて嫌だという条件づけに反応しなくなって、しびれによる不快感を感じなくなるらしい。が、ビギナーにとってそれはだいぶ先の話である。
あと、過去の嫌な思い出が脳内を去来するのに戸惑った。座っているだけなのにそのことで心臓がドキドキしたり、落胆したり、逃避しようとしたりと大忙しだった。なんじゃこりゃ…と思っていたが、よくよく聞いてみると、瞑想中はみんなそうらしい。
いかに自身が過去の体験起因の、情動のトリガー条件に支配されているか、その意味を理解できた。
そして、確かにその感情に反応しないことを根気強く続ければ、どうでもよくなっていくこともわかった。俺ってほんとうにトリガー条件の集合体なんだな…と驚いた。
*
人間は条件付けの集合体である。これが仏教思想でも同様のことが言われており、自分なりに言葉にもできていること。いま感じること、思うことはすべて過去の経験に起因している。
その過去作った条件づけから解放されるには、その条件で生まれるものを見つめ続けるしかない。ヴィパッサナー瞑想は、その一見小難しく実現方法がわからない課題を実践によって体得し、解決せんとする方法なのだ。
ちょっとでもピンと来ることがある方はぜひ、一度お試しあれ。
※日本だと、京都と千葉に合宿所があります。
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