骨折して車椅子でフジロックへ 〜その2 フジロック前夜から当日
私が骨折をしたと言う話はすぐに数人の友人に伝わり、その友人たちはみな口をそろえて「フジロック行くの?」と聞いてきた。
母も聞いてきたので、よっぽどあり得ない。と思われていたんだろう。
私は2つ返事で
「行くつもりだよ」
と答え、若干ひかれてる?みたいな空気をなるべく感じないようにしてその当日を迎えた。
2019年のフジロックは行った人は経験したと思うが、台風が直撃して、豪雨。グリーンからホワイトの道が水没し、テントサイトは水没&飛ばされるテント続出と、かなり過酷な状況にもなった年。2018年の大雨もやばかったけど、去年は私は苗プリだったし、その大雨の時にはホテルに避難していたので大雨には遭遇していない。
私は日曜だけの参戦予定だったけど、その台風直撃のネイバーまとめやTwitterのつぶやきを見て、正直おびえていた。
現地に既にいる友人からは「地面が田植え状態。かなり過酷。車いすは厳しそう」とのラインも来ていた。
表向きには
「車いすのフジロックなんて、経験出来るもんじゃないからね」
なんて明るくふるまっていたけれど、根がチキンな私は
(車いすの車輪が泥に埋まり、そもそも動かせなくなって、みんなに迷惑をかけて、最悪なことになるかも)
とか
(最悪、迷惑かけないように車いす置いていったとして、無理して歩いて、皿がさらに粉々に割れて、骨髄とか血が出て膝にたまってあの痛みがまた襲ってきたらどうしよう)
とか
(ギブスみたいな固定してるものが、濡れて重くなったらどうしよう)
とか
ネガティブなことばかりが頭をよぎった。
むだに台風のニュースを仲間のグループラインに送り
「午後から晴れるっぽいよ」
と、ふんわり、朝方出て、午後に着くようにしようよ
という意味合いを含んだメッセージを送った。
でも、みんなの答えは違った
「夜中12時に出発するよー」
「俺、最強の晴れ男だから大丈夫」
「わーやばそー笑」
みたいな返事と、さらには、テントを張る予定も全く変わってなかった。
私は、腹をくくった(行くだけ行って、無理そうなら、車でネットフリックスを見よう)と。
今年は、私は意見はなるべく言わないで、みんなに従おう。だって、押してもらわないといけないんだもん。
荷物、持つの手伝えないしなぁ。
みんなへの申し訳ない気持ちと自分のふがいなさで、弱気になったけど、どうにか自分を奮い立たせた。
本来ならみんなで一箇所に集合していくはずが、優しい友達の計らいにより
私だけ迎えにきてくれることになった。
行くメンバーの中にいた、うちに近い人もうちの下で集合することになった。
私は予定到着時刻に家の下へ行き、荷物と車椅子を運び出して車の到着を待っていた。
もう1人の友人が、まだ来てなかったので電話して
「もう、車着いちゃうよ?」
と言ったところ
「オッケー! 俺ラーメン食べたいんだよねー」
と、答えた。私が黙っていると
「えー?どんな感じで動こっか?」
と、明らかにこっちへ向かってない…どころか、ベロベロじゃんか!
ちょーベロベロに酔っ払ってるじゃんか!
運転要員でもあるはずの人が、酒を飲んで、迎えに来てくれる時間に、まだ家にいて、さらにはこれからラーメン屋へ行く…だと?
私はとりあえず電話を切って、車を待った。
迎えに来てくれた友人に荷物を運ぶのを手伝ってもらい、大丈夫?と気を使ってもらいながら車に乗り込んだ。
「あれ?ひとり?」
私は事情を話し、ラーメン屋へ迎えに行って欲しいと伝えた。
ラーメン屋の前へ行くと、カウンターでラーメンを携帯見ながら食べている友達の姿が見えた。
こっちに気がついたらしく、ちらっと車見たけど、 そこからしばらくはラーメンを楽しんでいたようだった。前途を不安にするには申し分ないスタートだった。
ハイテンションでラーメンのネギ臭を撒き散らせた友達が車に乗り混みメンバーが揃った。
長距離の車内ではなるべくトイレに行かなくていいように、まさに湿らす程度お茶を飲んでいた。
夜中の高速は空いていて、すぐに苗場までついた。
まだ少し雨は降っていた。
少し車で仮眠をして、朝の6時くらいからみんな起き始めた。
おもむろに目覚めた友達の1人が上がった雨を見て
「やっぱり晴れちゃうよねー!よーし!飲んじゃえ!」
と言い、ビールを買いに行った。
そして、そこから数時間。車付近での宴会が始まった。
まだ午前だと言うのに、みんなそこそこに酔っ払い、スナック菓子を食べ散らかしてた。
私は飲んではなかったものの、いよいよトイレに行きたくなり早速和式の洗礼をうけた。
トイレ内は狭い。私は立ったまま紙コップにおしっこをした。
ちなみに我慢をしてトイレに行った私の尿量は、成人の平均よりも多かったっぽい。
憚らず紙コップのおかげで自分がどれくらいおしっこ出たかを測ることができた。
紙コップをゴミ箱に入れ、とりあえずはこれで会場でもやっていけると確信した。
友達だって遊びたいよね。
押してもらうだけだってかなりのストレスのはず、できる限り自分でやれること増やそう。
と再度思った。
いい感じに酔った友達たちと、会場へ向かった。
ちなみに今回のメンバーは、友達の嫁の急な欠席により私以外の4人は全員男。
サーフィンやらサッカーやら筋トレやらなにかしらでみんなそこそこデカく、力も無いほうでは無い感じ。
今回、このメンバーだからこそ楽しめたんだと思う。感謝しかない。
会場へ向かい、入口ゲートまで、私は何回、
ごめんね。大丈夫?
と声をかけたかわからない。
段差、坂道、人へぶつかりそうになる
その度にわたしは
「ごめんね」
と振り向いて謝った。
感謝より先に申し訳ない気持ちが先立つ。
少しの段差でも、その度に苦労した。
「重くないよ」
と言ってくれていたが、女の中では大きい方の私は別に軽くもない。
車椅子初心者のわたしと車椅子押す初心者の友達。
明日の朝まで、大丈夫かな。
口から出る言葉は
「ごめんね」
ばかり。私は気持ちを切り替えて
「ありがとう」
に変えるように心掛けて、自分でもなるべく動く方の足や腕を使い少しでも足しになれるようにすると心に決めた。
最初の難関は入口ゲートだった。
ピッと腕のチップをかざすところ、立ってる時はなにも感じたことなかったけど、車椅子に座ってると少し高くて、少し離れると腕を伸ばさないといけなかった。
ピタッと横付けしたわけじゃないからかもしれないけど、
友達だって車椅子でピッてやるのははじめて。
普通にぶつからないようにゲートに入ると、腕を伸ばさないといけなかった。
元気だと気が付けなかったことが、今回の車椅子フジロックでは色々気が付けた。
次はいよいよ会場イン。