12. 人を知る者は智(ひとをしるものはち)
他者を知ることは知恵であり、自分の事を知ることはもっとすごいこと
この章で老子は、他者を知ることは知恵であるが、自分自身を知ることはもっと大事な事であり、難しいことであり、自分に打ち勝つことであると言っています。
夫と結婚してまだ浅いある日、夫と食事をしていた時の事。
夫がそんなに熱くないものをフーフー言いながら、真っ赤な顔をして食べているのを見て、私は思わず「〇〇って猫舌だよね」と言ったところ、夫は思いのほか驚いていました。当の本人は人にそのように指摘されたことが人生で初めてだったみたいでした。
そう、夫は産まれてから数十年、私に指摘されるまで、自分が猫舌だということに気づいていなかったのです。
またある時は、夫が遠慮がちに食べているように見えたので、「食べたいんでしょ~?」と笑いながら言うと、夫は頬を赤らめ、物凄く恥ずかしがっていて、夫のそんな様子を見て驚いたことがあります。
夫は周囲の人とも理論で話をしている毎日で、感情をぶつける場面は少ないと想像します。そのせいか私と結婚して一緒に食事をして人生で初めてそんな指摘をされたことで、自分の感情に少し気づいたようでした。
しかし本来ならば、自分がどんなタイプの人間なのかとか、何をしたいとかざっくりとはわかっていると思います。しかしそれがわからないまま、ひたすら仕事に打ち込んでいるように見えます。
そして生活の為、家族の為に頑張ってくれているのは本当に有難いことだと思いますが、それが幸せと直結しているかどうかは疑問に思ってしまうところもあります。
なぜなら、幸せというのはあくまで自分が主観的に感じるものであるからです。しかし夫はそれには少し疎いように思います。
そして夫の先回りをして自分が夫の感情の代わりをすることは非常に危険だと感じました。なぜならそれは強い依存を生むからです。だから夫は夫自身で自分の感情と向き合うことが大事だと本当は心のどこかで思っている自分がいます。
そういった訳で、必要以上に相手のプライバシーに介入することは危険だということです。それは近くにいる人ほど陥りやすいのですが、実はそれは相手の問題であり、課題です。ちなみにこれをアドラー心理学では「課題の分離」と言っています。
ですので、相手の事を知ろうとする行為そのものでもう十分なわけです。そしてそれ以上に相手のプライバシーに入る事は、いくら近い相手でもむしろしてはならないし、できないのです。
そしてその本当の意味は、実は相手を通して自分を知ることであるのです。相手を通してしか自分を知ることができないのです。
そしてそうやって知った自分こそ本当の自分であり、明智であり、自分のためになってやっと自分を受容できるのです。
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