VRC環境課「あなたの祈りが届くころ」

数日前、暴動があった。強制介入があった。死闘があった。そして――見知った人が去った。

これまでに経験することもなかった、あまりにも激しすぎる災禍の物語。
それは、環境課を取り巻く環境だけでなく、そこに属する人々にも大きな影響を与えることとなった。
彼らによって刻み付けられた傷跡は、当分の間癒えることはないだろう。

半ば習慣となっている散策、漂ってくる死に瀕した臭いを探りながら看取るべき人々を探す旅。
しかし、今鼻を突くのは燃え落ちた建造物が撒き散らす焦げ臭さと全てが終わった後の死臭ばかり。

遠い昔に見た光景とは真逆のそれ。狂乱、破壊、炎上、残骸、方々に散らばる金属片と肉、混凝土の混合物。ここにあるには、既に暴威と死が通り過ぎた痕跡だけだった。

普段なら間を置かずして治癒しているはずの傷も、強かに打ち付けられたせいか未だに重く響いている。時折走る鈍い痛みが、あの日の戦闘の記憶を浮かび上がらせていた。

庁舎内で相対した金色の豹――どうやら、金華猫という名前の式神兵器らしい――は、まるで重力を無視するような動きで私達へ襲い掛かり、結果として他の課員達との合流に大きな遅滞をもたらした。

撹乱を得意とするクロムさんや飛び交う礫を防いでくれたコタロウさんらがいなければ……もしも一人であれと闘うことになっていたら、私は数に蹂躙され為す術なく殺されていたことだろう。

いつの間にか人は疎らになり、喧騒が遠いものとなっても、私は歩みを進める。
結局、目的もなく足を動かすだけになってしまった時間。あるいは、歩くことで気分を変えようと無意識に考えていたのかもしれない。

けれど、その思いとは裏腹に頭の中では全てが終わった後だからこそ生まれた余裕の隙間を埋めるように、記憶の断片が更に浮かび上がる。

クロムさんから話に聞いたそれは、私の想像以上だった。ロナルド・ハンティントンと呼ばれるド取班員の2度に渡る庁舎内への突然の襲撃、戦闘、そして――。

フローロさんは、自身の断頭台を捨てることを選んだ。その覚悟は、一体どれほどのものだったのだろう。
彼女にとって、少なくとも私の知る限りでは、それは一心同体、それ以上のものであったはずだ。だが、彼女は選択した。
それは、どれほど勇気のいるものだったのだろう。

自分ならば……と考えそうになって止めた。
この病は、捨て去ってしまうにはあまりにも多くの意味を持ち過ぎていた。
それは過去の罪であったり、あるいは歪な絆であったり、時には武器であり、もしくは呪いでもあり、そして最早自分自身ですらあった。
そもそも、捨てることが叶うのかどうかさえ、分からない……分かる必要すらない、きっと。

(もう……戻った方が良さそうですね)

気が付けば、辺りは赤く染まっていた。
密葬係としての業務が暫くないとはいえ、環境課の課員としての業務なり後処理なりの作業が無くなるわけではない。
むしろ、あと数日――あるいは数週間は、本来の業務どころではないだろう。

当分は、紫を身に纏うこともない。

庁舎に戻る前に、いつもの廃工場跡へと足を進める。
私以上に忙しなく動いているクロムさんも、この時間はまだいつもの場所で思案にふけっているか、あるいはつかの間の暇を過ごしているかも知れない。

やがて、そう時間を掛けずに到着したそこは誰の目にも触れることなく、変わらず朽ちた混凝土とまばらに生えた雑草が私を出迎えた。

「お疲れ様です、メメリちゃん。休息は取れましたか?」

ゆらりと周囲へ視線を巡らせていた私の背後から、声が聞こえてくる。
クロムさんも丁度庁舎に戻るところだったのか、私の目的は予定よりも数段早く達成された。

「お疲れ様です。……お陰様で、身体の調子も戻ってきました」

「その表情だと、あんまり、といった様子ですね」

ついつい顔に手を当てる。
最近は、以前にも増して感情や考えが表情に出るようになってしまっているようだった。
自分では気づかなかったものの、もしかしたら他の課員からも同じように見られているのかもしれない。

「どうしても、色々と思い出してしまいまして」

クロムさんが、落ちていく夕日へと眩しそうに視線を向ける。
その焦点は、きっと私と同じでまだ過ぎて間もない物語達に、合わせられているのだろうか。
きらきらと照らされた瞳からはどのような想いを抱いているのかは分からなかったが、それでも、考えていることは同じかもしれない。

「あの時の戦闘の事ですか?……それとも、フローロさんの事ですか?」

両方です、と私が答えると、クロムさんも頷きを返す。

「そうですね……もしかしたら、あの場では別の選択もあったかもしれませんが、他ならぬフローロさん自身が選んだことですからね」

私はその意思を尊重します、と言って言葉を切ったクロムさんの表情はどこまでもフラットで。
そこには一切の懊悩も後悔も、存在していなかった。

どちらにせよ、クロムさんに留めることが出来ない相手ならば、選択ならば、誰が居ても結果は同じだっただろう。
何より、それを選んだのはフローロさん自身なのだから。

……結局、そこに至った胸の内は私にも、その場にいたクロムさんにも知り得ることは出来ない。
今はただ、そうなったという結果が残るのみだ。

「……フローロさんは、戻ってくるでしょうか?」

「大丈夫です、戻ってきますよ」

クロムさんの確かな、そして優しい返事に、私は少しだけ安心してしまう。
今だけは、何も考えずにフローロさんの無事を祈っていたい。

「早く、帰ってきてくだされば良いのですが」

私の言葉に、クロムさんも頷きを返してくれた。
長い影と連れ添いながら、戻る足取りは先程よりも少しだけ軽く。

「おかえりなさい」と。
返す言葉が、そう遠くないことを祈りながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?