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【これが私の生きる道】なぜフリーランスを始めたか(後編)

前回までのあらすじ
小学校から専門学校まで、何の変哲もない人生を送ってきた私ですが、「もっとお給料が欲しい!」という衝動に動かされ、大した準備もなくフリーランスとして開業する道を選んだのでした。

https://note.com/memento_mori_jp/n/n2fa343e32e94

派遣時代

最初の選択は「人材派遣」でした。理由は「自分で営業しなくても、希望する報酬を提示してOKなら働けるから」です。その頃はまだ客先訪問ですらほとんど経験がなく、初対面の方と話をするのも慣れてなかった赤面シャイダーな私でしたが、専門学校時代に「大阪駅の歩道橋で路上演奏」という力技なメンタル修行を行ったお陰か、業務以外の交渉や相談など、コミュケーションは割としっかりとできていたのではないかと思います。

ちなみに最初の契約報酬は35万円でした。数ヶ月前まで20万円すらもらえなかった当時の自分からすれば「とんでもなく儲かる世界に飛び込めた!」という興奮と期待でいっぱいだったのを覚えています。というポジティブな話はここまで

多重派遣

当時はまったく理解していませんでしたが、契約先のエージェントの方が派遣先を紹介してくれるのだと思って行った場所は「新たな派遣先」という、いわゆる「多重派遣(偽装請負)」として働いてました。現場と自分を除いて3社あったので三重派遣ですね。恐ろしい。

また現場の作業環境はひどく、絶賛炎上中のプロジェクトに放り込まれ、作業デスクの島には派遣チーム10名ほど、皆必死で業務時間に雑談などなく(しゃべれる空気がない)、タバコ休憩やトイレですら気を使い、唯一しゃべるのはランチの時だけ。めちゃめちゃ息の詰まる空間でした。

この現場では初めてが多すぎて色々とトラブルはありましたが、今では良い勉強だったなと思ってます。多重派遣の「中抜きの会社が無駄に儲かる仕組み」に嫌気がさした私が次のエージェントに出した条件は「多重派遣はしない」でした。

暗黒時代

希望通り派遣先がエージェントの契約先で、最初の現場と打って変わり、ここでは仕事も楽しくメンバーも仲良く非常に良い所だったのですが、ワンマン社長が絶対神のトンデモブラック企業でした。1社目と同様にプロジェクトは炎上中で、特に意味もなく残業させられる労働環境だったの覚えています。

それ以外にも中途入社でチームリーダーをしていた課長が失踪したり、学生アルバイトが中規模プロダクトのリリースを23時まで残業して対応したり、経営側が人を人とも思わない所業で、メンタルをやられるスタッフさんが多かった素敵な職場でしたね。ここの社長は今も許していません

直請時代(現在)

そして現在。紆余曲折ありましたが、ついにエージェントすら省いて直請けができる会社を見つけ、報酬から契約の詳細まで全て交渉できるところまで来れました。良い会社、悪い会社はもちろんあるのですが、名も無きフリーランスと直接契約して頂けるのは非常に有り難いことだと思っています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。これといって特徴もなく、波瀾万丈な人生という訳でもありませんが、良くも悪くも芯のある性格なので、フリーランスは向いている気がしますし、なるべくしてなったのかもしれません。革新的で効率化が好きが故に、保守的な古い体質の会社や、組織という枠組みが合わなかった・・・と言えば聞こえは良いのですが、お金の事以外でサラリーマンを辞めるきっかけになったのは「早起きが苦手でフレックスに憧れた」というしょうもない理由も大きかったです(当時の始業は8:30)。

結論

  • やりたい事以外はやらない性格だった

  • 成功体験を重ねて自信が付いた

  • お金が欲しかった

  • 組織には向いていない性格だった

  • フレックスに憧れた

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