【俺、つしま】猫と人間の生命讃歌
#マンガ感想文 #おぷうのきょうだい #猫と人間の世界が交差するとき
私は猫飼い歴30年になる。そしてこの30年間、家の中に1匹も猫を欠かしたことがない。これまで8匹もの猫が虹の橋を渡るのを見送った。そして今は1匹の猫が家にいるが、全匹すべて野良出身である。誰かから譲渡されたとかペットショップで購入した猫は0匹。猫の方から勝手にやって来て家に居着いて、いつの間にかその猫が、おもに私が名付けた名前で呼ばれ、居間で寛ぎ、それが当たり前になっている30年間だった。
1匹で飼っていた猫が死んでいなくなると、どこからともなく新しい猫がやって来る。そんなことが数回あった。それが30年も続いているのだから、我が家は間違いなく、猫にまつわる都市伝説「NNN」の名簿だか人別帳だかに登録されているに違いない。
作者の「おぷうのきょうだい」は兄妹ユニット。兄が作画担当、妹が原作担当である。単行本ではカットされているが、Twitterアカウントでアップされたverではそこかしこに手塚治虫作品のキャラが登場しているので、間違いなくユニット名の元ネタは「火の鳥/乱世編」のヒロイン、おぶうだと思われる。ちなみに私は「火の鳥」では異形編がいちばん好きである。次が宇宙編だ。
主人公のつしまは、体格のいい豆タンク体型のキジトラの♂。飼い主は「おじいちゃん」という、米粒みたいな頭に眼鏡をかけた全身青のキャラクターだが、このおじいちゃんというのは原作担当の妹氏の代理キャラで、れっきとした女性である(未読の方には何が何やら意味がわからないだろうが、その辺はご容赦願いたい)。
正式におじいちゃん宅で飼われているのはつしまと、御年23歳で虹の橋を渡った故・ずんちゃん♀の2匹だが、他にちゃー♂という見るからに気の弱そうな困り顔の桜耳の地域猫、そしてオサム♂という見るからに気の強そうな茶白の地回り猫が、通い猫として出入りしている。
サブキャラの筆頭は、おじいちゃんの友人である、シシド・カフカ似で、ウサギが好きで偏食でぞんざいな性格の「シッターちゃん」というクセのあるキャラのカメラマンの女性。次いで異常に動物に好かれる近所の女子小学生で、父は竹脇無我似の「よしこ」ことよっちゃん、八千草薫似の妻を持つ、大滝秀治そっくりな老おまわりさん、ヒゲがトレードマークの気の好さそうな夫と、一見ビッチ風な妻とその一人息子の一家、美人な一人暮らしの女性、豪邸に住む原節子似の姉と田中絹代似のタナカさん姉妹と、全体的に昭和的である。
猫のサブキャラは「やさぐれ会」を自称する野良猫集団の、首の下に白のワンポイントがある黒猫のツキノワ、白多めの白黒、ごろう、黒多めの白黒、狂犬、首にリボンをした茶白のまむし(全匹♂)ちなみに、オサムも会の一員である。
『やさぐれ会は、ニンゲンにけっしてこころをゆるさない/ほこりたかいやさぐれ猫のあつまりなのさ』
と、つしまは語るが、ツキノワはよしこ宅の通い猫、ごろうと狂犬とまむしは美人の女性宅に住み付き、オサムはおじいちゃん宅の通い猫だ。
やさぐれ会の面々と交流を重ねるうち、つしまは重大な事実に気づき、前足で挙手し、彼らに意見を述べる。
「あのさぁ/おまえら/ちっともやさぐれてなくない?」
その瞬間、つしまの発言に場の空気が凍りつくが、猫達はそんなことは気にしない。
『やさぐれ会は、あんまりちっちゃいことは気にしないワイルドなおとこたちのあつまりなのさ』
というつしまの一言で、あっさり片がつく。
そんなコミカルなエピソードの合間に、つしまの過去が語られる。
つしまはおじいちゃんと出会う以前に、ある一軒家に住まう独居老人と暮らしていた。いかにも人嫌いで孤独を愛すると言った印象の、大正から昭和にかけて存在した文豪風な容貌の老人だった。前述したように人嫌いで生涯独身を通したのか、それとも子に恵まれず、妻に早くに先立たれたのかと色々想像出来るが、老人の過去は一切語られない。
通い猫だったつしまは、その老人にツシマヤマネコにそっくりだと言われ、奇遇にもここでも「ツシマ」と名付けられ、つしまはいつしか頑なな老人の心を解かし、老人の飼い猫となる。ある冬の夜、火鉢とちゃぶ台が置かれた和室に敷かれた布団で老人とつしまは枕をともにしながら、老人は暖かさに心地よく眠るつしまに語りかける。
「しあわせかツシマさんは」 (ああ) 「わしもしあわせだ」 (うん) 「うちに来てくれて/ありがとうなツシマさん/ほんとうにありがとう」
「ずっといっしょだぞツシマ」 (うん)
老人はつしまの掌を手に取り、そう告げた。
しかしその数日後、
「さて少し疲れた/いっしょに寝ようツシマさん」
老人のかけた声に、つしまは老人が眠る布団の上にのっそり近づき、定位置になっていた老人の右脇で眠る。
頭の位置や体の向きを変え、かけ布団の右脇で何晩も、何晩も。しかし老人は、いつしか永遠の眠りに就いていたのだ。
近所の主婦達が、道端で噂し合う。
「なんかね/右のわき腹のあたりだけ/そこだけ傷みがけっこう激しくて、カイロでもはってたのかしらねって/でもそんなものどこにもないんですって」 「へ~不思議ねえ」
猫のつしまには、独居老人の孤独死が警察沙汰になり、検死が行われたことなどまったくわからないように、人間達は老人の遺体の部分的な損傷が、若くてデカい、体温の高い猫が毎晩その箇所に添い寝していたからなどと、気づく由もない。恐らく近所付き合いなどほとんどなかっただろう老人は、その亡骸が近隣に腐敗臭を漂わせるまで発見されなかったのだろうか。
老人とつしまが暮らしていた家は、取り壊され更地になっていた。つしまは悟る。
『ニンゲンはいなくなる/そして家もごちそうも消える/そういうものさ』
その昔語りの聞き手であったずん姐さんは、つしまに断言する。
「だいじょうぶだ/じじいは消えたりしねえ」「どうだか」 「苦労しただな、おめえ」
「(それは)どうだか」という、たった一言のつしまの返答が切ない。わけもわからないまま家も飼い主も一度に失ったつしまは、老人との暮らしは大切な思い出ながらトラウマでもあり、飼い猫と人間との関係を達観しながら、実は達観し切れていないのではないか。
吹っ切れているように見せて、吹っ切れていない。内心では、まだ元飼い主の老人のことを引きずっている。
そして、つしまのもうひとつの過去。虫歯治療のため、おじいちゃんに動物病院に連れて行かれたつしまはそれが原因ですっかり機嫌を損ね、家出してしまう。人間からすれば、治療というれっきとした理由があるのだが、残念ながら猫にそんなことはわからない。そしてつしまは資材置き場のような場所に身を潜め、いったいどこで手に入れたのか、生魚を丸ごと一尾むさぼっていたところに、
「つしまさん?」 「あんたつしまさんじゃないの」
と、資材置き場の隙間から入って来た、灰色と茶と白の入り混じった毛色の、1匹の♀猫に声をかけられる。
「やっぱりつしまさんだ/あたいよ/ひさしぶり」 「や。おまえは!!」
しかし、つしまはその♀猫の名を忘れていた。
「誰だっけ?」 「しず子よ/変わんないねアンタは」
しず子という♀猫は、3匹の仔猫を連れていた。そのうち1匹は白黒なのだが、
「ママー」 「おなかへったー」
と言いながら資材置き場に入って来た2匹は、つしまと同じキジトラだった。もしかすると、つしまの子ども達なのかも知れない。
『ふ。俺にほれてるおんなは星の数ほどいるんだぜ/いちいち名まえなんかおぼえちゃいないのさ』
つしまはそう語るが、本当にただ単に忘れていただけだ。このしず子という子連れの美猫は第①巻の中で、3匹の子とともに、かのヒゲがトレードマークの夫とビッチ風の妻とその一人息子宅にまとめて引き取られることになる。
そしてラスト。23歳という、猫にしては相当な長寿をまっとうしたずん姐さんの最後の日が描かれる(飼い猫は長くて20歳、平均的には16歳前後が寿命である)。
つしまに家を任せ、ちゃーにはおじいちゃんに心配をかけるな、と遺言を残すが、オサムは、
「オレはきかないよ」
と言い放つ。
「さっきからもうこれでお別れみたいな口ぶりじゃないか姐さん/冗談はよしこさんだぜ」
「あしたきくよ/じゃあな」
そう言い残し、オサムは出ていってしまう。
それはオサムの精一杯の強がりだったのか、姐さんの死に目を目の当たりにしたくなかったのか、それともただ単に死というものを理解していなかったのか、本心はわからない。だが猫という生き物は、人間が思っている以上に同居する猫の死を理解する。
ずんちゃんの死に際に家を去り、遺言を聞かなかったのは、湿っぽいことが嫌いなオサムが見せた、地回り猫として、♂猫としての矜持だったのだろうと、私はそう思う。
②巻以降からは、野良猫時代のつしま、つしまとしず子との出会い、さらに野良猫時代につしまが関わった野良猫仲間と人間達の物語がさらに詳しく描かれる。もちろん、おじいちゃんとシッターちゃんとのコミカルな日常生活も、存分に。
あまたある猫との生活を描いた作品とは様々な意味で一線を画すこの作品、猫好きなら読まなければ損だ。
©️小学館/単行本③巻以下続刊/電子書籍あり
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