見出し画像

着こなし 担当:エロ司

 肌を撫でるレーヨンの質感と、その間を吹き抜ける清風。夏は嫌いだが、敢えてひとつ好きなところを挙げるとするなら、三十枚近い柄シャツコレクションの中から一枚を選び、袖を通す瞬間を挙げるだろう。自分の所持している柄シャツは、着て街を歩けばどこで売っているのかと人に問われるような珍奇かつ淫靡な柄のものばかり。さすがにオーダーメイドというわけにはいかないが、柄シャツの柄選びと私服のコーディネートは、自分にとって文章や写真に並ぶ自己実現の手段であると言えよう。

 そんな前置きで始めてはみたものの、実のところ自分は「オシャレ」や「ファッション」に全く関心がなかったりする。ファッション雑誌を購読していたり、古着屋で働いていたというような経験もないし、そもそもあのブランドの沿革はどうでとか、あのデザイナーの作る服にはこういう特徴があってなどといった、カルチャー的な観点がごっそり抜け落ちているのだ。このブランドの服には比較的好きなデザインのものが多いといった傾向こそあれ、自分が服を選ぶ上で決定打となるのは「なりたい自分になれるかどうか」の一点のみである。

 もちろん特定のブランドやデザイナーで全身を固めるのも「オシャレ」をする上では立派な戦術だろう。しかしその場合、コーディネートに反映されるのはそのブランドやデザイナーの思想になってしまう。そうではなく、あくまで独自に編み出したブレンドで、自分という固有の素材を最大限活かしつつ、こうなりたいと思う出力にどこまで近づけるか。これらの要件を満たすことが自分にとっての最優先事項であり、そしてここも重要なのだが、その要件に適っていることと周りの目に「オシャレ」に映っているかどうかは必ずしもイコールではないのである。ゆえに本稿のテーマは「オシャレ」でも「ファッション」でもなく「着こなし」なのだ。

 一口に「着こなし」と言うと、顔立ちがやたら整っていたり、飛び抜けてスタイルが良かったりといった、芸能人やファッションモデルのような「選ばれし人々」の専売特許のように感じられるかもしれない。しかし、皆様もご存知のように自分は顔立ちがやたら整っているわけでも、飛び抜けてスタイルが良かったりするわけでもない。そんな自分の体感において「着こなし」の本質とは即ち「ハッタリ」であり、そしてそれはむしろ「選ばれなかった側」の人間が生きていく上でこそ最大の効力を発揮すると、そう確信しているのである。

 かくいう自分も「なりたい自分」を目指す試みを本格的に実践しはじめたのはここ数年の話であり、それまでの日々は言うなれば挫折と抑制の歴史であった。小二の頃には漫画の長髪キャラに憧れた挙句「ロン毛は男のロマン」などと嘯き両親からの散髪の要請を頑なに拒み続けてみたものの、髪質の関係でヘルメットを被ったような髪型に仕上がってしまい敢えなく断念している。この時の苦い経験から「自分は長髪にはできない」という諦念が無意識下に刷り込まれ、ロマンを完遂するまで実に二十余年の歳月を俟つこととなる。

 そして横須賀という土地柄、高学年になると「スカジャン」に憧れを抱くようになった。今でこそスカジャンブームの余波か街中でも着ている人をちらほらと見かけるようになったが、ゼロ年代初頭のあの頃、スカジャンは既に「過去の遺物」となっており、今や若者向けストリートブランドの地位を確立したガルフィーと同様、ドラマなどにおける視覚的なチンピラ感の演出以外で見かけることは殆ど皆無であった。しかし当時の自分は、どぶ板通りの軒先に躍るあの壮麗な刺繍とサテン生地の妖しい光沢に、どうしようもなく魅せられていたのだ。そしてその年の正月、親類から貰ったお年玉をかき集め、背中に大きな龍と鷹があしらわれたオーソドックスなデザインのスカジャンを買った。生まれてはじめて心から「欲しい」と望み、自分の金で手に入れた服。龍の体に隠れるようにさりげなく入った「YOKOSUKA」の文字が、この小さな偉業を讃えてくれているようで誇らしかった。

 中学に上がるとこれも土地柄か、所属していたグループのメンバー間で変形制服やストリート系ファッションが流行した。短ランにボンタン、やたら細いエナメルのベルト、そして制服のボタンの裏に着けるチェーン付の裏ボタン。これらのヤンキー・ファッションはかつてスカジャンのゴテゴテな刺繍とテカテカの光沢に魅せられた自身の心を惹きつけてやまなかったが、学ランの第一ボタンを開けているだけで先輩に目を付けられる絶対的な縦社会と、音に聞こえし猛者のひしめく周辺校との勢力図の中にあってその秩序を揺るがしかねない変形制服は、グループの中でもイケイケの武闘派にのみ着用を許されたまさに「特権」であり、自分のような度胸も腕っぷしも足りないシャバ僧には、叶うべくもない夢なのであった。

 変形制服がダメならとストリート系ファッションにも手を出してみたが、やはり借りてきた服のような「着られている感」は拭えず、見かねた母親からの「あなたは細身だから大きいシルエットの服は似合わない。もっと体型を活かせる服を着た方がいい」という助言に素直に従うことにした。要は「着たい服よりも、着れる服を着ろ」ということだ。事実、学童期から思春期にかけて母親はいつも自分の性質を理解した上で社会で生きていくために必要なことを教えてくれようとしていたし、その点では母親の教えが今の自分の中核を形成したと言っても過言ではないのだが、この時の彼女の言葉はその正しさゆえに「呪い」となって、自身の心に長く暗い影を落とすことになる。

 それからの自分にとって、服は擬態するためのツールだった。世間の普通から外れないように、周りの思う「似合う」に適うように、そして時には付き合っていた相手の好みに合わせるように。随分と長い間、飾るためではなく装うために、服を選んでいたと思う。周囲に適応できているという実感だけが自身にとって唯一の「幸福」であり、そうすることで初めて人間として認めて貰えると、この頃は素朴に信じていたのだ。

 そんな自分に転機が訪れたのは、大学卒業後にフリーターをしていた時だった。応募したバイトの面接で期せずして中学の同級生に再会し、働くうちに時々遊ぶほどの仲になったが、ある時その友人から「服を処分したいが数が多すぎるので貰ってほしい」と打診されたのだ。奇しくも彼が志向していたのはストリート系のファッション。似合わないという固定観念は未だに払拭しきれていなかったが、せっかくタダで貰えるということで承諾し、彼の家へと向かった。

 1Kアパートの畳の上に無造作に積まれた服の山。そこから彼は自分に合いそうな服を身繕っては、次々と切り出していく。「これはどう?」「結構高いんだからな」「取り敢えず着てみろよ」そうして手渡されたのは、かつてどぶ板通りで買ったスカジャンのように、友人の「こうなりたい」という願いが託された服だった。自分の中で確実に、何かが変わろうとしていた。彼に言われるがまま、その服に袖を通してみる。

「めっちゃ似合うじゃん」

たった一言。このたった一言で自分は許されてしまった。好きな服を着てもいい。己の感覚を信じていい。なりたい自分になってもいいのだ。今なら何でもできるような気がした。だって自分はこの服が似合う男なのだから。

 それからはあっという間だった。失われた時間を取り戻すように、自分のなりたい姿をとことん追求し、ひとつひとつ再現していく。オーバーサイズのロングTシャツと、短ランのようなクロップドジャケット。ボンタンのようなバルーンパンツに、派手な柄シャツとスカジャン。そして丸レンズのサングラスには金色のグラスチェーン。あの日ロマンと心中できなかった髪も今は肩まで伸びて、吉田拓郎ならば結婚している頃合いだろう。誰がなんと言おうと、今の自分がいちばん胡散臭くて、いちばんかっこいい。

 着こなしとは「ハッタリ」だ。オシャレだから、センスが良いから着こなせるのではなく、自分がいちばん似合っている、この服を着れるのは自分だけ、という強固な自我が「着こなし」という形を取って表出しているに過ぎない。なりたい自分の姿を強くイメージし、まずは形から入ることで、次第に内面もそれに引っ張られていき、最終的には自分が服を着ているのではなく、この服を着ているから自分なのだと思えるようになっていく。そしてそれは、抑圧や罪の意識に苛まれながら自我を抑え込み生きてきた人間にこそ必要な「許し」の儀式なのである。時にはレーヨンの肌触りのように優しく、自分が自分であることを許してあげてもいいだろう。

【著者紹介】
エロ司(し)
2021年『私家版 ボ性大全』を発表。
現在同書は「ディレクターズカット」として、尾道の古本屋「弐拾dB」にて店頭でのみ販売中。
noteでは不定期でコラムを掲載。愛と自由を信じる吟遊詩人。


いいなと思ったら応援しよう!