下鴨納涼古本祭と京都通いの日々
長かったお盆休みも、もう終わってしまいました。
久しぶりに働いて帰ってきたら、
体がだる重すぎて三時間起き上がれませんでした。
さて、今年の盆休みは、はじめて下鴨納涼古本まつりに行ってきました。
森見登美彦さんの小説を読んで以来
このイベントに憧れがあったので、
実際に訪れることができて嬉しかったです。
野外で古本市というと一番に心配になるのが暑さ。
でも、市街の中心地から外れるとヒートアイランド現象がましになるからか
最寄りのバス停を降りただけで、体感温度は二、三度下がった気がします。
日中、日陰にいるだけでも大分マシになるので
森の木陰にある古本市は、暑くてつらくなることは無かったです。
古本市に並んでいる本は
・山口六平太やのらくろのような青年漫画
・アーバン系のアー写雑誌
・絵本、新書
・国際関係書や国際情勢分析書
みたいなジャンルが多かったです。
普段本屋にいると積極的に手を伸ばすジャンルではないですが
こうして一期一会の対面をしているとき
ついつい手を伸ばしてしまうような本たちですね。
太平洋戦争関連の本も多くあって、
『戦友』という、部隊に所属していた人の名前と
過去と現在の写真。そして連絡先や戦績などが記録されている
実際に旧日本軍で戦った方からすれば
何物にも代え難い価値がある本だと思います。
まあ、全体的に保守っぽい雰囲気の本が多かったですが
古本市という性質もあると思います。
冒頭でも触れましたが、僕は京都に対してずっと
『憧れはあるけど縁がない』という感情を持っていました。
京都の街中で面白い芸術的な集団が何やら活動している
ということはずっと昔から知っていました。
でも、それは大っぴらなところではなく
友人同士だったり、街の奥深くで行われていることだと思っていたので
関わりたいけど関わる縁がない。どこに行っていいか分からない
という状態だったのです。
けれど、2022年の春に清水寺へ観光に行ったとき
あれ? 電車賃をこれだけ払うだけで、
こんなに楽しいならめちゃくちゃコスパが良くないか?
これなら通ってみようか。と思ったことがキッカケで
一昨年から今に至るまで大体150回くらい京都に行ったと思います。
週末になると大阪をすっ飛ばしてほぼルーチンで
京都に行っちゃう状態です。
もう、僕は京都にハマってしまいました。
そして、一つ馴染みの店が見つかると
素敵なことが芋づる式に見つかる…というのは、どの都市でも
共通していることだと思うのですが
自分の中で秘密めいた街だと勝手に定義していた京都に
飛び込むことができたことが、本当に嬉しかった。
あれだけ自分には縁がないと諦めていた京都。
森見さんの『夜は短し歩けよ乙女』で描かれていた。
春の先斗町で飲み明かすのに近い体験も
秋の京大祭も、ご縁があり遊びに行くことが叶いました。
それらは小説の中の絵空事ではなく、訪問者が心を開けば
手を広げて待ってくれているものだったのです。
京都が排他的というのは、タチの悪い洗脳みたいなもので
実際に京都が日常になってからは
排他的だと感じたことは一度もありませんでした。
京都はイケズ、というのもよく言われがちですが
あれもどうかなぁ?と思うところがあって
元々、京都の人は温和で優しいという前提があって
でも実はイケズなところもあるよねという話だったと思うのですが
近頃は、その”前提”の部分がすっ飛ばされて
変に攻撃的な色合いを帯びているように思います。
耳すまの天沢聖司が”カッコよくて素敵な男の子”
という前提条件がまずあるべきなのに
今や話が味わい尽くされすぎて、はじめから『ヤバいサイコパス』と
話題にされがちなのとちょっと似てるのかもしれません。