胡乱なブックレビュー

吉屋信子『花物語』論―「スイートピー」からみる『花物語』の変遷―・前編

『花物語』という小説がある。吉屋信子という明治時代の作家の連作短編で、俺はこの作品を「ユリイカ」の百合特集号で知った。
「百合」の源流は主に戦前の女学生たちが女子しかいない学び舎で結んだ「エス」という関係性である、とはよく言われることだが(俺調べ)、『花物語』はそういうものを扱った文学作品の代表作とされる(実際読んでみると女学生の話は半分くらいなのだが)。

 で、色々あって俺は『花物語』を題材に大学の卒業論文を書くところまで行き着いてしまった。大学で何を学びましたかと訊かれたら女と女の感情についてですと胸を張って答えられるわけで、これは俺の人生における大きなアドと言えよう(ほんとか?)
 ゼミの教授が特に研究する作家の一人が吉屋信子だったという縁があったのだが、ともかくこの論文を書き上げるまでの道のりは百合について色々と考え直すいい機会でもあった。この道のりで学んだことのうちいくつかは、百合のおたくであり続ける限り俺の心の一部分を占めて消え去ることはないだろう。
 というわけで今回の記事は、その卒論を多少砕いた口調に直してほぼそのまんま掲載してみる。正気か?
 あまりに長いので本論前編/本論後編/まとめ・引用文献・あとがき、の3投稿に分ける。

 形としては、最後期の一篇「スイートピー」を主に取り上げて、10年にわたる連載の中で『花物語』と吉屋信子がどう進化していったか語っていく。「スイートピー」ほか数篇、及び同じく吉屋の長編『海の極みまで』『屋根裏の二処女』についてあらすじを書いてあるのはご了承頂きたい。

以下本文。

○はじめに
 吉屋信子『花物語』は、10年に及ぶ連載の中で〈美文の後退と促進する散文化、そしてそれらに伴うストーリー性の増大〉(高橋重美「花々の闘う時間――近代少女表象形成における『花物語』変容の位置と意義――」七五頁)という変化を見せていった。
 本論では、後期作品の中でも特にストーリー性が強く、本来『花物語』の最後の一篇となるはずだったという「スイートピー」を取り上げ他の篇と比較、また全篇を様々に分類しながら『花物語』の発展を読み解いていく。また吉屋の(齧った程度だけど)他作品との内容の照らし合わせや比較も行う。そして、10年という長期連載の終着点たる「スイートピー」が持つ意味合いを探る。

『花物語』の先行研究では、大正時代の〈少女〉文化との関係性や、「少女小説」における位置づけ、作中で描かれる〈少女〉たちの特徴(とその関係性の閉塞性)などが多く論じられてきた。だが本論の目的は、まず『花物語』という一作品を読解し、吉屋信子という作家が最終的に何を描き出さんとしたのかを探ることだ。
 なお本論では、「からたちの花」「薊の花」を除いた、単行本に収録された52篇を指して『花物語』とし取り扱う。また『花物語』からの引用については河出文庫版を使用する。
「からたちの花」は国会図書館か日本近代文学館だかで読んだんだけど「薊の花」はマジで存在するということ以外分からなかった記憶。「からたちの花」は関東大震災の被災者である少女の話で、まあ慰安のために書かれたみたいな印象だったので、未収録なのはそれが理由かなと思われる。

○一章 概要
・第一節 作者概要、『花物語』概要
 明治29(1896)年生まれ。4人の兄を持ち、弟も一人。父は厳格な家父長で、母も昔気質であった。
 8歳の時(1904)、小学校の授業で書いた作文を激賞され、読むだけでなく書くことを志し始める。12歳からは文学に憧れ、この頃から「少女世界」「少女界」などへ投書を始め何度も当選、やがて投書の場を「文章世界」や「新潮」に移してこちらでも当選を重ねた。才能ウーマン。だが本ばかり読み作文を続ける娘を母は全く理解せず、父母の愛は専ら弟が独占。吉屋は愛への渇望と孤独、反発の中でますます文学に向かっていった。
 12歳の時には、学校で新渡戸稲造の「良妻賢母になる前に、一人のよい人間とならなければ困る」という講演を聞いて感銘を受ける。
 19歳の時(1915)、幼年雑誌「良友」に童話を送ると採用され、以後「良友」「幼年世界」に寄稿を続けて稿料を得るに至る。そして翌年(1916)、「少女画報」編集部に送った「鈴蘭」が採用され、『花物語』の連載が開始。連載は28歳(1924)まで足掛け10年に亘って続く。
 共に暮らしていた三兄が外国へ発つと、吉屋は四谷の女子学寮に入った。四谷の教会に通い、婦人問題に関心を深める。尤も文学に傾倒するあまり学生としては勤勉でなく、間もなく退寮、神田の基督教女子青年会(YWCA)の寄宿舎に入る。後にここでの同性愛体験を基に『屋根裏の二処女』を書くことに。
 23歳(1919)、『花物語』連載と並行して書いた初長編『地の果まで』が大阪朝日新聞で一等当選、翌年元旦から連載される。更にその翌年は大阪・東京朝日新聞に『海の極みまで』を連載。この2作に続く三部作として31歳(1927)「主婦之友」に『空の彼方へ』を連載。純文学志向だった作風は、婦人雑誌の司会や対談にも出始め長編執筆も増えたこの頃から、通俗的傾向を帯びる。
 27歳(1923)の時、一生のパートナーとなる門間千代と出会う。吉屋の仕事が忙しくなると、千代は教職を辞して家事と秘書の仕事を請け負う。吉屋61歳の時(1957)には千代を養子とする(結婚できないにしてもパートナーと堂々と一緒にいる方法というわけである。つよい)。
 40歳(1936)の秋からは東京・大阪日日新聞に代表作の一つ『良人の貞操』を連載。翌年からは病魔に悩まされ、「主婦之友」と専属契約を結び節筆に入るが、「少女の友」の内山基の熱意には負け、少女小説も数年書き続けた。また晩年には歴史小説を書くようになるが、これも『徳川の夫人たち』など歴史上の女性たちを多く題材に取った。
(以上、朝日新聞社『吉屋信子全集』12巻収録「年譜」(吉屋千代編)より。新渡戸稲造のエピソードは同書収録「私の見た人」より)

『花物語』は吉屋の、そして〈大正期の少女小説の代表作〉でもあって、その内容や文体には〈大正期の少女を語るうえで必要な多くのものが含まれてい〉る(毛利優花「吉屋信子『花物語』の〈孤独〉――少女型主体――」140頁)。
 内容としては、独特の(尤も当時の少女雑誌上ではごく普通だった)美文調で綴られた短編群であり、最初の7篇以外は全篇独立している。
 ほぼ全篇が、女性(多くは少女)同士の関係性を描いている。ハッピーエンドを迎える篇は少なく、主に切なさや哀しさを感じさせる終わり方をする。また長期に及ぶ連載の中で、同性愛関係であると明言されたり(「日陰の花」)心中をしたり(「燃ゆる花」)と、過激化とも言える変化も生じており、これには批判的な意見もあった。

・第二節 「スイートピー」概要、『花物語』における位置付け
 真弓が三年生となった新学期、新入生の中に綾子という特別美しい子がいた。活発な彼女はたちまち学校中の話題となり、毎日のように手紙を受け取るなどしていたが、真弓は特別綾子には惹かれなかった。一方、真弓と同じ牧師の娘だが真弓と違って信心深い佐伯は、綾子に心奪われているらしく、真弓や級友たちはそのことに驚く。
 その年の冬から、綾子は病気で学校を休む。翌年の春になっても姿を現さないので、彼女の話題は霧消してしまった。それにむしろ助かった気持ちの真弓は、文芸部員として図書室の整理係になるが、そこでひっそりと復学していた綾子と顔を合わせる。すっかり儚げな雰囲気になった綾子は、運動を控えねばならない体となっていて、休み時間を図書室で読書して過ごすようになった。そして次第に二人は言葉を交わすようになる。
 ある日真弓は、休んでいる間の分のノートを佐伯が作って送ってくれた、ということを綾子から聞く。感謝しなければ、と真弓は言うが、もちろん感謝はするが佐伯には感謝以上の気持ちは懐けないのだ、と綾子は答える。そして目が合った瞬間、二人の思慕は通じ合ってしまう。真弓は佐伯に罪悪感を懐きつつ〈自然のなりゆきだったのだもの――〉と自己弁護するしかなかった。
 翌年六月、寄宿舎に舎監排斥運動が興る。真弓含む数人で作った宣言文を印刷するのに、真弓は綾子の家から謄写印刷機を借りる。しかし文章は配られる前に発見されてしまい、まず文章を作った者たち、次に謄写印刷機を貸した者は誰かと追求された。運動に関わった者の中では、印刷機を貸したのが誰か知るのは真弓だけ。真弓は黙秘し、舎監は〈基督教徒は叛逆を抱かず長上に従順でなければならないから〉と唯一運動に参加しなかった佐伯に証言を求める。が、機械を貸したのが綾子だと知っていた佐伯は、忘れてしまったと答えた。綾子を愛するが故信仰にさえ背いた佐伯こそ真に綾子に相応しい相手だと思った真弓は、その旨を手紙で伝え、綾子を避けるように過ごし始める。
 そして二学期になると、綾子は再び病気で学校を休み、その年の冬、遂に命尽きる。賛美歌の合唱が聞こえる中、真弓と佐伯は寄り添って泣き崩れる。
 春になり、二人は共に墓参した後、真弓は専門学校へ、佐伯は神学校へ、それぞれの志を懐いて発つのだった。

『花物語』は当初、「鈴蘭」から「名も無き花」までの、7人の少女たちが集って互いの話を語り合うという形式の7篇だけで終了する予定だったが、読者の評判が良かったので連載継続となり、最終的には10年をかけて、全54篇を数えることとなる。
 しかし、『花物語』が要請されて連載延長されたのは一度だけではなかった。本来「少女画報」にて「スイートピー」を最後の一篇とするつもりが、単行本出版のためもう数篇ほしいという要請、及び読者と雑誌編集部の熱望によって、「少女倶楽部」に移って連載を続けることとなったのだ。
 ここで、連載延長にあたって「スイートピー」が受けた扱いに注目する。「少女画報」に「スイートピー」第1回が載ったのは1924年11月だが、これは「少女画報」上では未完のままとなり、翌年11月と12月に「少女倶楽部」で全2回の連載として改めて書かれる(尚、「少女画報」版第1回の内容は「少女倶楽部」版第1回の中で大まかに語り直されている。単行本などに収録の「スイートピー」は、未完の「少女画報」版と完結された「少女倶楽部」版を合成のうえ修正したものである)。
(「少女画報」13年11号(1924・11)及び「少女倶楽部」3巻11号(1925・11)、3巻12号(1925・12)参照。尚「少女画報」に掲載されたのは、真弓は綾子に興味はないのだという説明の部分まで。ちなみにこの号では、次号に「スイートピー」の続きが載ると予告がされている。画報派だった少女たちかわいそう)
 そして『花物語』はこの間に、読者にとって未完のままの「スイートピー」を残して、「睡蓮」「心の花」「曼珠沙華」が「少女倶楽部」に掲載され、その後にようやく「スイートピー」の完結編が来る。
『花物語』の中で複数回に分けて掲載されたものは20篇あるが、一つの篇の途中で違う篇を挟むということは基本的にしていない。
(高橋重美は作成した初出一覧(前掲論 77頁)において、「燃ゆる花」を〈柳原白蓮事件影響説を踏まえ〉て〈暫定的に〉「向日葵」連載の途中に挟んでいるが、同論文にて〈事件と初出の年代関係に疑問が残る上、白蓮とますでは行為の意味するものが全く違う〉ことからこの説は再検証を要するとしている(前掲論 89頁))。
白蓮事件←wikipedia)
 ここで注目すべき事実が2つ。一つ目は、「少女倶楽部」3巻12号(1925年12月1日)の「スイートピー」第2回を見てみると、末尾に〈六月二十八日脱稿〉と記されていること、即ち脱稿から掲載までに5ヶ月の間があること。2つ目は、「少女倶楽部」版「スイートピー」完結よりも後に書かれたのは「からたちの花」「薊の花」の2篇であり、これらは単行本には収録されなかった、ということだ。
 吉屋は、『花物語』を「スイートピー」を以て完結させることに意味を見出していたのではないだろうか。発表順で言えば49篇目、全集収録順では44篇目であるが、「スイートピー」こそが実質的には『花物語』の最終回と言えるのではないか。
 実際内容的にも、「スイートピー」は『花物語』が辿り着いた最後の篇として相応しい内容だ。それを二章以降で検証していく。

○二章 「進化」する物語
・第一節 病死する少女たちと、「スイートピー」における病弱設定の活用
 まず、『花物語』52篇の構成要素を纏めた表を載せる。独自の表現については後々解説するが、解説しそびれてるものがあったら各自適当に察してほしい。

 毛利優花は『花物語』について、ほぼ全ての篇が〈「出会いと別れ」という流れ〉で構成されているとする(前掲論 138頁)。その中で多くの篇は死別や卒業、旅立ちなどの身体的別離を描くが、中には「白菊」「桐の花」など、心と心が離れてしまったことを主題として描く篇もある。そこで表において、各篇が別離の話か否か、またどういった別離を描く話か、そして別離の原因は何かを分類した。
(旅立ち…どこへ行くか、なぜ行ったか分かっている。卒業、帰郷などを含む
 失踪…どこへ、なぜ行ったか(すぐには)分からない
 刹那的交流の終了…偶然や不思議な出会いがあり、自然と解散する
 まなざしの終了…交流はしておらず、一方的に見ていることを終える)
 メインの二人ないし三人が死別する物語の場合、一番多い死因は病死である。そこで次に、病気による死別が描かれる「フリージア」「白百合」「紫陽花」「秋海棠」「釣鐘草」「合歓の花」「沈丁花」「スイートピー」の8篇において、病気や病死という設定・展開がどう扱われているかを見る。以下、8篇を連載順に並べ、タイトル/病死する存在/病気であることが示されているか/遺すもの、遺された少女が得るものを並べる。

・フリージア/母/寄宿舎にいて突然知らされる/〈善い女の児にな〉る決意
・白百合/慕っていた先生/×:病気の気配はなく突然退職、病死/心で〈永久に生き〉る先生との誓い
・紫陽花/従姉/○:〈家に今、病いゆえに舞扇を捨てて〉/約束を果たす勇気
・秋海棠/同級生/×:突然病死/形見の〈象牙彫の文鎮〉
・釣鐘草/弟/×:寄宿舎から帰省すると突然知らされる/教職に就き一生を捧げる決意
・合歓の花/語り手の友人(主人公)/○:〈順子と呼ばれた病む子は臥っている。〉/〈奥様をお慕いし〉ていたことを代わりに伝える役目
・沈丁花/姉(主人公)/○:〈その夜、君恵は俄かにひどく発熱した。〉/姉に愛されていたという気付き、妹の想い人への手紙
・スイートピー/後輩(相愛/思慕の相手)/○:〈『病気なんですって』『まあ、重いの?』〉/同じ相手を慕った二人の絆、各々の〈志〉

 連載が進むにつれ、突然の病死という急展開は鳴りを潜め、死が遺し託すものも漠然とした「誓い」から少しづつ具体的になっていっているように見受けられる。単なる感傷的な物語から、より強度を高めていっているのだ。(断言)
 そして「スイートピー」では、綾子の病気という設定は、真弓の綾子に対する視線を変化させる切っ掛けとなり、休んでいる間のノートというアイテムでかつて綾子を話題にしていた人々と佐伯との違いを明らかにし、そして最後には真弓と佐伯の間に連帯をもたらし、二人をそれぞれの進路へ送り出す、と十全に活用されている。
 そしてまた、もし綾子が病死しなければ、真弓は自分より佐伯の方が綾子に相応しいと綾子を避け続け、佐伯も愛の為に神を裏切ったことを悔やみ続けるだろう。綾子の死はそんな袋小路に陥りかけた二人を救済している。三章でも述べるが、綾子の死に涙を流す二人を賛美歌の合唱が包むシーンは、真弓と佐伯が許され救われたことを示しており、このシーンによって二人はようやく旅立つことができるのだ。
 尚、それぞれの志を懐いて進学する、という締め括りは一見すると最初期の漠然とした「誓い」に回帰してるように見えるが、そうではない。共に綾子の墓を訪れた二人はその後、真弓は専門学校に、佐伯は神学校に進学していくのだが、この二人の進路は『海の極みまで』の結末と符合する。これは四章で述べる。

・第二節 〈病〉に罹る少女たちと、「スイートピー」の画期性
 ところで、『花物語』において「病」という言葉は、病気という以外にもう一つ、違う意味でも使われる。「シック」とルビを振られる〈病〉である。この語が最初に登場する「白百合」では次のように語られる。

 葉山先生が学校へいらしてから一週間もたたぬ間に、もう全校に『葉山病(シック)』が流行いたしました。
 ある方は、ダンテの神曲に出て来るベアトリーチェの様に美しいフローレンスの都の姫にも比すべき葉山先生と讃えれば、ある方はミケル・アンジェロの描いた聖書のマドンナにもたとえようかと憧れ、私はもうどんな美しい人にもくらべる事ができない! といって涙ぐんで溜息をつく方もございました。

 この〈病〉あるいは〈熱〉〈熱病〉などとも表現される現象は、ある同じ先輩や女優などに複数の少女が熱中・熱狂するというものであるらしい。「百合は一時の感情」言説の源流みたいなものだ。
 この〈病〉について触れた話も『花物語』には何篇か存在する。尤も一対一の感情が〈病〉の一種かそれを越えた「エス」的思慕なのか判別することは困難だ。そこで一人を複数が同様に慕う場合を特に着目してみると、〈病〉が描写または言及されている篇には「白百合」「寒牡丹」「濱撫子」「向日葵」「龍胆の花」「黄薔薇」がある。
 そして「スイートピー」でも、綾子が学校中に〈ピー熱病〉を巻き起こす(綾子は学校の花壇でスイートピーを育て始めることから「ピーさん」と呼ばれる)。
 だが「スイートピー」が画期的であるのは、主人公である真弓がその〈病〉の圏外にいるところから物語が開始するということだ。はじめ無関心だった相手にとある切っ掛けから惹かれていく、という構造を持つ篇は、『花物語』全体でも他に類を見ない。
 真弓が〈ピー熱病〉に罹らなかった理由はこう語られている。

 けれども真弓だけはその話の中に入りえなかった。第一真弓は上級の人を思ったことはあった。自分が一年の時五年の組の水島ちえと呼ぶひとを、ひそかに苦しいばかりに思いつめていたりして……そのせいか、いまさら年齢(とし)下の小さいひとを思ったりする事には、少しも心が動かなかったので。

 簡単に言えば、真弓の「タイプ」の問題なのである。(この文章、note用に弄る前のガチ卒論の段階から「タイプの問題」って言ってて、さすがに読み返して笑った)
 そしてバスケの選手などをする活発だった綾子は、長い病欠を経て、〈やつれた姿、色も澄みて蒼く、瞳も沈みて愁わしく〉変わってしまうが、それが逆に真弓の「タイプ」に近付く結果となる。真弓を綾子から遠ざけていた「活発さ」が失われたことが、二人が結ばれるにあたって重要な変化だったというのは、二人が通じ合(ってしま)う場面で、綾子の活発さの象徴だったバスケの練習が行われている校庭に〈背を向けて相なら〉ぶことから確定的に明らかだ。
 そして一方の佐伯は、〈ピー熱病〉が流行する最中に〈エクスタシイに陥入ってい〉るところを目撃されるが、後に彼女の思慕はより深く強いものであったと発覚する。佐伯が真面目で信仰に篤いことから〈サエギではなくてカレギ(枯木)さんだ〉(カッコ内原文ママ)と陰口を叩かれる描写は、彼女を一旦ただの〈ピー熱病〉患者だと思わせておく一種のトリックだ。また信仰に篤いという設定も、綾子を庇うために神をも裏切り嘘をつくという展開に繋がる。
 発表順に見ると、〈病〉がただ単にそういう現象が起きたと描写されるのみであるのは「向日葵」までであり、それ以降は〈病〉に物語上の役割が与えられる。
「龍胆の花」では、冒頭に〈種々(いろいろ)の熱病(慢性持続的?)の所有者〉(カッコ内原文ママ)をあげつらう「評判記」が登場した後、そのノートに主人公の告白が記される。思慕の相手から裏切られたが、その後道端にたった一本咲き誇る花を見て〈新たなる勇気と心の信仰〉を得た、というものだ。
「黄薔薇」における〈病〉は、主人公と友人たちが交わす冗談の中で語られるが、後に教師となった主人公は受け持った生徒の一人と〈病〉とは一線を画す同性愛関係になる。
 そして「スイートピー」では、真弓と佐伯の感情の特別性を示す比較対称として用いられる。真弓と綾子の間に結ばれる関係は、〈病〉が終息した後密やかに生じていく感情として描かれ、〈病〉だとか〈熱〉とは一線を画していることが示される。〈病〉のあった時期から終息後もずっと続いていた佐伯の感情もまた同様だ。
〈病〉という一要素の扱い方は、明らかに巧みになっていっていると言えるだろう。そしてこれは技巧の進化という以上の意味も持つが、それは四章で述べる。

 尚、その他「スイートピー」がそれまでの篇と比べて技巧的に優れている点として、〈悲絶哀絶断腸之記〉といったユーモアの存在(他に「合歓の花」の大和田などの例がある)、また結末部で〈『私学校を止したら死んでしまいますわ』かく過ぎし日に仄暗き図書室の中で言った、その人は、あわれ、今は逝けるか。〉と述べられるような伏線回収、などが挙げられることを添えておく。「スイートピー」は『花物語』の中の一篇という域を越え、一本の短編小説として十分に読み応えのある作品、という印象を受ける。読んでくれ。

つづく。

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