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リアコ時代を懐古する

前半の続き。


顔ファンから派生してジャルジャルの福徳(以下ふくちく)にリアコだった時の思い出を綴る。

リアコは顔ファンと同じく良くない物として言われる場合もあるのだけど、リアコはリアコで辛い側面もあったよー私の過去を振り返りながら体験談を語ります。

今はもうふくちくに対してリアコではないし(ジャルジャルは芸人として好きだけど)、何だろあの頃は若かったなーみたく過去の恋愛を振り返る気分で書きます。

前編にも書いたけど当時の人生で1番ガチでリアコした相手だからこそ凄く辛かった。

そもそも前提として恋愛って好きになろうと思って好きになれなくない?良かろう悪かろうなんて考えるまもなく落ちてしまうのが恋だし、リアコになりたくないなーと思った時にはもう好きになってるんだよね。

だからこそリアコも顔ファンも好んで選んでなってないというのは言いたい(小声)

ジャルジャルにハマったのはYouTubeで色んなお笑いを観て、お笑いにハマっていく中で特に面白いと感じだから。youtubeにネタが大量に上がっていたと言うのも大きいかもしれない。
元々ジャルジャルは中学生の頃毎週楽しみに観ていたレッドシアターに出演していたから勿論知っていて、でも当時はなんかイケメンだからチャラそうで(安易な偏見)寧ろ苦手だった。
レッドシアター後はお笑い自体を観なくなったので必然的にジャルジャルを観る機会はなかった。
KOCで優勝したニュースを観てこの人達ベテランなのにまだ賞レースに出ていたの?と驚いた記憶はある。

お笑いの劇場はアウェイで中々勇気が出なかったし、正直ジャルジャル以外の芸人さんは知らない人もいるから飽きてしまわないかなとか色々不安でジャルジャルのファンになってから3ヶ月ぐらい中々踏み出せずにいた。

そんな私が劇場に行こうとキッカケ。ジャルジャルと当時2番目に好きな空気階段が同じ日に出るという寄席が有ったので2組見れるならと勇気を出してルミネtheよしもとに足を運んだ。

ずっとずっと大好きなふくちくを生で観れる!
浮かれすぎた私は人生でトップクラスにやらかした。クレカを落としたのである。

劇場のチケットを予めFanyと呼ばれるよしもとのチケットサイトで購入しておき、当日劇場の券売機にクレカを入れてチケットを発券するシステムだったのだが券売機でクレカを取り忘れたらしい。

幸いすぐに係の方が座席までクレカ落としてませんか?と届けにきてくださり、保険証などの本人確認の後その場で返却して頂いたので事なきを得たのだが本当に今思い出しても震撼する話である。
届けてくださったお客さんもありがとうございました。平和な日本に感謝。

滅多に落とし物や遅刻をしない私。
そうとう浮かれていたみたいだ。

そんなこんなで初めて生で見るジャルジャルは本当にカッコよかった。あまりにもカッコよくて同じ空間に居られる事が幸せだった。

グッズも沢山買って幸せな気持ち

お笑いの劇場は家族連れなど子供から年配の方まで様々な年代のお客さんが居るし、客層は女性がかなり多いから、女子1人でも安心して通えるし、劇場は綺麗で広いし(これはルミネだからで大宮や神保町は割と狭いらしい)想像の100倍居心地が良い空間で気に入った。
何より劇場で初めて見る聞くようなテレビであまり観ない芸人さんも面白い。或いはレッドカーペットなど昔お笑い番組で観てたような芸人さんを生で観れる。

あまりにも楽し過ぎて2日後の週末のチケットを急遽取り1時間公演の練習後に向かった。
そして、それでも足りなくて幕張まで行った。

解散したプラスマイナス、メンバーの脱退や加入を経たGAG、2023年のKOC M-1王者のサルゴリラと令和ロマン… 色んな意味で凄い貴重なメンツ 


そう、要するに1週間に3回もふくちくを観によしもとの劇場に通った。

とにかく楽しくてまた行きたいと思いそこからルミネ通いの日々が始まった。
4月から大学院生。授業的な拘束時間は平日午前中のみなので、ジャルジャルが出るルミネには単独を除けば夏頃まで暫く全て通った。

当時1時間公演を終え、りるむーんの活動ももう2度と無いのかなと思ってたし、家と大学の往復は地獄の職場から脱出したのにまた幽閉された気持ちになって本当に鬱々と楽しみなんかなく生きていた。

だからこそジャルジャルが私の世界の全てだった。
毎日更新されるYouTubeが毎日の楽しみで、テレビやラジオに出るとなれば放送日まで楽しみにして、本当にジャルジャルが生きがいだった。

当時の部屋 今は縮小してる

通えば通うほどふくちくがカッコよくて、コントが面白くて本当に好きになって行った。
最初は軽くカッコいいなー程度だったのに、生で見る度にYouTubeを見る度に、インタビューやメディアで紹介される度に本気で好きが増していった。

幸か不幸かふくちくは既婚者であったので、結婚報告や熱愛報道に怯える必要はなかったのだが最初は良いと思っていたこの事実も後に私を苦しめた。

最初はもう結婚や彼女云々というダメージを与えられずに済むから有難いと思っていたのだが、段々既婚者に対してリアコな自分に落ち込むようになっていった。
そもそもふくちくは私の13歳歳上だから現実的に考えて恋愛対象としては離れすぎてるしそういう意味でも非現実に輪をかけてリアコになるのが不思議なのだがジャルジャルのお2人は凄く若く見えるしカッコいいので仕方ないのかもしれない。

夏は今も抱えてる心身共に不安定な不調を初めて発症した頃で人生で初めてドクターストップがかかって物理的に立ち止まって躓いた時期だった。気持ちが病むのはもう中学ぐらいから日常茶飯事だし慣れてたけど身体にまで出るのは初めてで、しかもこれといったハッキリした理由も分からないし辛かった。

そんな状態で夏からは自分でもかなり人生ドン底で相変わらず鬱々としていた。ふくちくに対しての思いも込みで凄く重い感情ばかり抱いて生きていた。でも大きく違ったのは間違いなくジャルジャルはふくちくは私の人生で1番の救いで唯一の光だった。


新木場大感謝祭や12月に2イベント等りるむーんの活動もあって活動できる嬉しさと裏腹にここからは今でも体調と戦いながら薬でコントロールしながらステージに立つことになる。自分の気持ちが頑張りたくても思うように万全の体調で望めない。益々苦しくて悔しかった。


ある日のスタジオ練 ふくちくHBD仕様

そんな時にジャルジャルのコントを観る時間は幸せで頑張ろうと思えた。

劇場では出番の前後に出囃子が流れるのだが、ジャルジャルの出囃子はチューリップの『ぼくがつくったあいのうた』。またこれがエモい(なんて軽い言葉で表せないぐらいの良い)曲で泣ける。

そう言えばいつの間にか出囃子出番の前しか流れなくなっちゃったな。前後に聴ける方が好きだったな。

そんなこんなで私は当時の人生最大の絶望感を抱えながら生きていて、そんな頃にはルミネで出囃子を聴いて泣いた日が多々ある。

人生本当に辛かったけどふくちくのコントを観てる時だけは生きてて良かったと思える。唯一の救いで有り幸せ。そんな感情で泣いていた。

これ羽生結弦のスケート生で観た時も同じような事言ってたな。


本人不在の生誕祭

私はリアコだった頃ふくちくの人間性が何よりも好きだった。
ふくちくは小説家として本を出版しており、内容は恋愛小説だった。読むと心があたたかくなるような優しい言葉で綴られた恋愛小説だ。


とても文才がある方で、ふくちくの書く文章も凄く好きだった。 ネタサロン会員(通常で言うファンクラブ)限定で読める文章にも大好きな内容が多々ある。そして毎月更新されるその文章はボリュームも厚く、とても読むのが楽しかった。あんな風に優しい言葉を紡げる人はきっと人一倍苦労もしてきただろうし、様々な人生経験を糧に強く優しい人になったのだろうと人として尊敬していた。

そして、何より芸歴が長くファンも沢山居る中でファンへの感謝を人一倍忘れずに持ち続けている方だった。SNSはジャルジャル福徳秀介と本人としてのアカウントは無いが、コントのキャラに扮してるXは凄い更新頻度だし、ファンのツイートにいいねなどマメに反応をくれる。たまに引用をしたり、ファンからのプレゼントを載せていたりとにかくマメだ。ただ、あくまでもコントキャラになりきってるし、ふくちくの付き人なのでクセは強い。独特な用語も多いし見方によっては凄く尖っているように見える。分かる人だけ分かれば良いというスタンスなのかも(^◇^;)

愛犬の写真を載せているインスタもコメントには必ずいいねをくれる。よくあるペット用のアカウントという感じで文章もワンコが自分の気持ちを話しているスタンスなのだが、その文章も流石小説家という感じで奥が深い。

私はこれらのいいね等の通知全てスクショしてたし、ある程度溜まるとまとめて可愛く画像加工して記録的にヲタ垢に載せていた。何回いいねをされても変わらず嬉しかった。決して認知が欲しいとか届くなんて思ってない。でも絶対に届かない相手に対して相手の長い人生のほんの数秒だけ一瞬だけでも自分の存在が届いている、その付加価値が凄かった。

ZUCCAというファッションブランドとジャルジャルがコラボしてコラボグッズが期間限定で発売された。
発売日に買いに行ったのだがなんとジャルジャルがゲリラで来店。SNS告知用の動画や写真を撮ったりしていたのだがその様子をファンは見守る事ができた。マネージャーさんとジャルジャルのご厚意でファンも撮影OKタイムを設けて頂きスマホで撮影できた。
その際にふくちくは順番にファン全てのカメラにカメラ目線を送ってくれた。

未だにiPhone8なのを悔いた瞬間 画質…

たまたまその場に居合わせて生のジャルジャルを観れただけでも幸せなのに、撮影出来てしかもカメラ目線の写真まで頂けるなんて良いのか??

商品買ってるとはいえ無料で完全なゲリラサービスだから、あまりの太っ腹さと神対応にヲタクは逆に申し訳なくなってしまう。

これは暫くロック画面だし印刷して部屋に飾ってきた

ふくちくのファンサはこれだけでは無い。

ファンレターの返事を全員に出してくれるのだ。
コントキャラに扮したXでプレゼントを紹介していたりするのだが、お手紙には全員に返信をくださる。

しかも返信を頂くのも余りにもびっくりだが、全て手書きでお手紙を読んで一言添えてくれる。


もう家帰ってポスト開けて号泣だったよね←
だって忙しいしこんな事しなくたって応援してくれるファンなんて山ほどいてファンレターなんて貰い慣れてるだろうに、良い意味で慣れずその有り難みをずっと分かってるんだよ。

自分も自分のヲタクの事大切にしたい、感謝の気持ちや初心を忘れたく無いってふくちくから学んで改めて心に刻んだな。

私はこの沢山Liveきてくれてありがとうという言葉に泣いたよ。

正直単独とか色んなエリアとか(東京以外の)私より沢山ライブに行ってるファンも沢山居るし、ジャルジャルは劇場でのライブを大切にしてるからこそ売れっ子だけどライブ回数はかなり多い。だからこそ沢山やってる中での数回なはずなのにその数回にしっかり感謝を伝えてくれる。こんなに人格者な人って本当素敵だよね。

ちなみにファンレター、いつも長文にはなるけどカッコいいとかましてリアコとか絶対出さないようにして、このコントのこういう部分が好き!このネタのここで爆笑した!などなどネタについて細かく褒めることで好きの気持ちを代弁してたな…。
めっちゃお笑いが好きなヲタクを装ってた今思うと重いヲタク。

人としてこんなに素敵な人に出会ったこともなければコント職人と呼ばれるぐらいお笑いの才能も卓越している。KOC王者。そしてかっこいい。

欠点が見つからないぐらい完璧な人で、だからこそあまりにも雲の上の存在だった。もし仮に自分が年近くて、ファンと芸人じゃなくプライベートな場所で知り合えたとして絶対にこの人は自分を選ばないだろう。そんな気持ちや無力感で悲しかった。届かない芸人にリアコになったから悲しかったのではなく、あまりにも自分と違いすぎる完璧な人好きになった故の辛さを感じていた。なんでリアコになったのだろう、お笑いにハマらなければ、ジャルジャルじゃなければ、こんなにふくちくが素敵すぎる人じゃなければ、何か幻滅するような言動をしてくれたら、そんなたらればを何百回考えたか分からない。

これがリアルな相手だったらLINEしたり、直接話したりもっと嬉しいことも有ったのかな…リアコって普通の恋愛で感じられるような嬉しい事がなくて悲しいなとも思ってた。
でも人間無いものねだりな生き物で、リアコは嬉しい事はあっても直接傷つけられたり相手の言動で一喜一憂する事もなくていいなーなんて全く逆の事を思う日もあったけど。


でも人生で初めてみんなが歳上好きって言う意味がちょっとだけ分かったのかな。基本同い年が好きで歳上何となく嫌いだったし。そこがふくちくにリアコして良かったことかも。当時空気階段のかたまりさんやコマンダンテの石井さんも好きだったけど、当時24の私はみんな30代の歳上の方ばかり良きって感じだった。近頃は令和ロマンとかナイチンゲールダンスみたく年が近い若手芸人にハマってるけど。


ゲリラ遭遇の時(ZUCCAの時)コントをしてないある意味素の状態だったけど醸し出す雰囲気っていうのかな、上品で穏やかであたたかくて良い人って感じの単にカッコいいとかじゃなく人間性故に醸し出す滲み出た雰囲気が凄く素敵で衝撃受けたのね。良い年齢の重ね方を見せて貰った気がする。

側から見たらさ既婚者の13個も上の芸人さんにリアコして馬鹿だったのかもしれないけど、私は私で凄く救われてたからふくちくのリアコやって良かったなあと今になれば思えるし、今回noteに書きながら今後の人生ふくちくと同じぐらい素敵な人は無理でもそういう、尊敬できる人を見極められる人になりたいなと思った。

今振り返ったらなんだかんだ楽しかったし、ジャルジャルの単独久しぶりに行きたいなと思う今日この頃でした。


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