アンチナタリズムの考察:4/4
追記:2020/11/17
この文章には論理的でない部分,説明や根拠の不足している箇所があります。その点を踏まえて読み進めて下さい。
前回の考察から1週間ほど経ちました。
前回からの進捗を掲載していきます。
まずこれ。
出生に関して問題意識を持たなかったことに対して、こんなに堂々と「分からない」と言えてしまうことが何よりショッキングだった。
また、この件に関しても深く考えさせられた。
比較には際限がない。世界でいちばん幸せになるまで、幸せを求め続けるのだろう。それが現実的かどうかは置いといて、人間とはそんなものだと感じた。
次はこれ。
こんな考えを持っている人間は少なからず居るだろうし、彼らが親になることを想像すると複雑な気分になる。
ANに関してはクリティカルな意見を発見することが多々あった。
親に全ての責任がある場合もあるが、多くの事例は元を辿ればこの生物システム、親を生んだ祖父母、またその先祖...という風にきりがない。
また状況に人間の行動が大きく左右されることは日々よくある。(しかしこの状況を作っているのもまた人間なのだが。)
そして今週一番勉強になったなと思うのがこのやりとりだ。
できれば全体を見てほしいが、強調したい点を抜粋している。
疑問点として挙げられるのが、
〇人生や任意の物事に対する考え方の違いがANの理論をなしているのか(だとしたら論理的帰結として結論は出せない)
〇バイアスなどで隠蔽されていて実際には体感していない苦痛や幸福を根拠・材料として「人生は不幸で満ちている」と判断することが有効なのかどうか(→実際の感覚として苦痛を感じていなければ、その苦痛にバイアスがかかっていようが隠蔽されていようがその苦痛を感じて困ることはないため問題ではない、という考え)
〇ANは、いくら理論を展開し正当性を論じたとしても、相手が最終的に「それでも産む」と決断した際それ以上の干渉ができない(押しつけになる)という問題
である。
難しい内容ではあるが、これからこの3点について特に考えていきたいと思う。
Twitter、このnote上でもこれに関して意見を募集します。遠慮なくどうぞ。
それでは。