バックミンスター・フラーによる「未来予測」がとんでもない。 by 宇宙船地球号操縦マニュアル
前回(第1部)は、
・バックミンスターフラーとは何者か?
・現代に通ずる 51年前からの皮肉
をテーマに 宇宙船地球号を語りました。
(ぜひこちらから読んでいただきた)
この記事は、全 3部構成 の第2部です。
3部では
フラーの思想、富の概念、シナジー、フラーが人類に託したもの
を紹介ますので、そちらも続けてどうぞ。
それでは、第2部をご覧くださいませ。(5,000文字超です。。)
フラーによる未来予測
フラーの未来を予見する力はとんでもない。
この本の中で、フラーは 未来の予測 について
25年程度なら、それなりに正しく未来は予測できる
と語っている。 しかし、実際にはどうだろうか?
まるで、50年先の「今」を予測していたようにさえ思える。
前回 紹介した皮肉のメッセージにもドキッとさせられたが、
今の時代を見通していたかのような表現は他にも目立つ。
これからいくつか紹介させていただくが、現代の言葉でいえば
「ベーシックインカム」「オフィス不要論」
「ミニマリスト」「AI時代における人間の役割」
などについて触れているのだ。
フラーの言葉を借りつつ、順番に見ていこう。
ベーシックインカム?
研究と開発のために、いやただ考えるためにだけでもいいから、生涯にわたる奨励金を出せばいい。人は思い切って真実を考え、生活の権利を失う恐れなしに、その考えにしたがって行動することができなくてはならない
10万人の人間を雇えば、そのうちのひとりが新機軸を切り開き、ほかの9万9999人分の奨励金よりも大きな実りを引き出してくれるかもしれない
この表現を読んで、どきっとした。え、ベーシックインカム? と。
現在、世界各地でベーシックインカム導入の議論が盛り上がっている。
コロナウイルス感染拡大による影響を受けて、その議論はさらに加速しているようにも思う。
最近の事例を調べたところ、幾つもの興味深いプロジェクトが動いている。
例えば、ケニアでは2017年 11月より NPO法人 Givedirectly による実証実験が行われている。最長 12年間続く予定で、観察対象者を含めると 1.6万人にもなり、世界で最も多くの人を巻き込む実証実験と言えそうだ。
フィンランドでも2017年より2年間をかけて、失業者 2,000人を対象に実証実験が行われた。その成果は賛否あるが、生活への満足度向上、精神的ストレスの減少、さらには、他者や社会組織への信頼度が高まり、将来にもより高い自信を感じられる傾向があったとのこと。一方で 雇用にもたらす影響は小さかった、とも発表されており、評価は難しい。しかし、人類にとって、有益な情報が得られた事は間違いない。
アメリカでは都市単位で実証実験を行おうとの動きが起きているが、それに加えて、Yコンビネーター(シードアクセラレーター) も6,000万ドルに及ぶ規模の実証実験を開始しており、民間初の取り組みも動き出している。Twitterの共同創業者 兼 CEO ジャック・ドーシーもベーシックインカムの導入を推進する団体に 300万ドルの寄付を表明するなど、実証実験のあり方自体も広がりを見せている。
また 最近では、ドイツが3年間の実証実験を開始する事を発表。予算総額 520万ユーロ(約6億5千万円)にのぼる。国としての動き、民間としての動き、それぞれが残すデータを蓄え、各国が知識を共有していくことになるだろう。ベーシックインカムに関する議論は、今後も熱を帯びてきそうな予感がしている。
そんな今の時代を見越しているかのように、バックミンスターフラーは本の中でベーシックインカムに近い考えを語っている。それが冒頭の一文だ。
調べたところ、ベーシックインカムの発想自体は古くからあるもので、古いものでは、1968年頃 「負の所得税(Negative Income Tax)」との名称で、実証実験が行われた記録も残されている。さらにいえば、ベーシックインカムの概念自体は、今から 500年以上前にさかのぼる、との説もある。社会主義が台頭した時代の発想もこれに近いものがあるのかもしれない。
それでも、今 まさに再燃しているベーシックインカムに関する議論を思えば、フラーの発想の斬新さは目を引くものがある。
フラーの発想は、限定かつ特定条件に当てはまる人だけに給付される社会保障に近い Basic Income ではなく、無条件で国民に一定の金額を給付する Universal Basic Income の発想に近いように見える。
マイナス を ゼロに、との発想よりも、人類全体にポジティブなインパクトを与えられる、との発想でもって語られているように感じる。
その意味では、ドイツの無条件ベーシックインカムがとりわけ興味深い。本当は期限の定めなく、やれるとよいのだろうけれども、、、
オフィスが地下に埋まる?
オフィスビルはそこで生計を立てる労働者がいなくなって空っぽになるだろうし、情報処理を自動化したオフィスは、いくつかのビルの地下に集められるだろう
これこそ、まるで今の時代を見ているかのような言葉だ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的として、一部業種においては、Stay Home や Work from Home が求められるようになり、ここ数年で大きく進みつつあったテレワークやリモートワークの動きが大きく加速しはじめた。(個人的には、日本のマネジメントスタイルに適合するには、もうしばらく時間が掛かりそうな感覚はあるが、、)
日本でも数年前から We Work や いいオフィス をはじめとした コワーキングスペースが流行の兆しを見せ、全国各地に仮想オフィスが誕生した。
この流れは、もちろん日本に限らず、世界中で起きている現象であり、東南アジアのタイでも ミャンマーでも コワーキングスペースは人気だ。
技術革新の影響が世界中に広がり、世界各地で通信インフラの整備が進んだ。そのおかげで、例えば、アフリカとのやりとりに掛かる通信コストが圧倒的に安くなった。通信環境にアクセスさえできれば、世界中どこにいても、なんだったら移動中に飛行機の機内でも、リアルタイムでやりとりできるほどになっている。
データはクラウド上で管理し、やりとりはメールやチャットで行なう。さらには物理的な移動をなくす オンライン会議システムなどのコミュニケーションツールも充実したため、会議室すら不要となり、オフィスビルまでもが不要になりはじめている。コロナ禍の Stay Home 期間を通じて、一部企業ではオフィス廃止を決めた、などの情報もある。
フラーが語った「地下」ではなく「仮想空間」ではあるものの、オフィスは空っぽになっていこうとしているのは、なんとも興味深いことだ。
“所有しない” 生き方
所有はしだいに負担になり、不経済になり、それゆえ時代遅れになりつつある
2015年に注目を集め、新語・流行語大賞にもノミネートされた「ミニマリスト」。どうも、その思想にも通ずるものがあるように思えてならない。
バックミンスターフラー自身がこの想いに至るまでには、54台(!)の自動車を次々に所有してきたらしい。しかし、彼は晩年になり世界中の大学から招待を受け、世界各地を飛び回るようになっていった。すると、家にいるよりもほかの場所にいることが多くなり、考えが変わっていく。
そして “ 実用的 ” との理由で「所有は時代遅れになりつつある」とまで語るようになった。
上記に述べたオフィスの話にも通ずるが、
交通パターンのピークを見ると、みんなが空港に出入りするのは、あきらかに24時間のなかの2つの短い時間帯で、主要施設はすべて、時間の 3分の2 は使われていない。世界中の私たちのベッドはすべて、3分の2 がからのままだ。リビングルームなら 8分の 7 がからになる。
とも本の中で語っている。
実用性の観点から、所有を無駄と切り捨てる主張は興味深い。
コロナ禍における様々な事情で、利用されていない施設の数が増えた。その一方、自宅の書斎やキッチン・トイレなど、これまで以上に利用頻度が高まった施設・設備もあるだろう。しかし、これもまた環境が変われば、利用頻度が変わる事は想像に難くない。
現在は、モノ、スペース、スキル、時間などのあらゆる資産を共有する「シェア」の考えも広がり、インターネットを介して個人と個人の間で共有し合うサービスまで生まれている。自動車配車サービスの「Uber」や「Grab」、宿泊施設貸し出しの「Airbnb」などが有名だが、他にも次々と同様のサービスが生まれている。
「シェア」が容易になっていく世界において、以前にも増して所有する事の意味が薄れつつあるようにも思う。自分の身の回りを見渡したくなるようなフラーからの問いだ。
AI時代における人間の役割
コンピューターは人間の頭の模造品だ。それに関して新しいことはなにひとつないが、その許容量、作業スピード、疲れ知らず、さらには人体組織には耐えることができない環境条件下でも作業をこなしうる能力、そんなところが特殊な目的の作業をする上では、コンピューターなしの、頭蓋骨と生体組織で包まれた人間の頭より、はるかに効率的であるということだ。
いまや人間は、専門家としては、コンピューターにそっくり取って代わられようとしている。人間は生来の「包括的な能力」を復旧し、活用し、楽しむように求められているのだ
フラーがこの本を書いた 1969年は 第一次人工知能ブームの頃。当時は「探索・推論」の段階で、明確なルール上の問題に対しては高い性能を発揮したため、大きな期待が寄せられた。しかし現実世界の複雑な問題を解くには至らず「限界が見えた」とばかりにブームは下火になったらしい。
家庭用コンピュータはもちろん普及しておらず、一般にコンピュータが使われていたわけでもない。そんな時代にも関わらず、上記の言葉を語っているのだ。コンピュータが身の回りにはなかった時代に、ここまで語れるのがフラーなのだ。語っていることは 現在、AI について語られている内容と並べてみても、ほぼ変わらないようにも思える。
『AI(人工知能)が仕事を奪う』『AIに奪われる仕事』
こうした言葉が一時期かなり広まった。「AIに奪われにくい仕事」「AIで新たに生まれる仕事」などの言葉もあわせて世間を賑わせた。
AI(人工知能)の能力が人類を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」「2045年問題」の言葉が話題になった頃だ。
これは、レイ・カーツワイル博士が提唱した「2029年にAIが人間並みの知能を備え、2045年に技術的特異点が来る」との言葉に ちなんだものだ。
第三次人工知能ブームといわれる今。ディープラーニング(深層学習)と呼ばれる技術がブレークスルーを起こした。Google Deep Mind によって開発されたコンピュータ囲碁プログラム「Alpha Go」の存在が記憶に新しい。
コンピュータが人間に打ち勝つことが最も難しいと考えられてきた分野である囲碁において、ディープラーニング技術を活用した人工知能が、世界トップ棋士から勝利したことは世界に衝撃を与え、人工知能の有用性を広く知らしめるものとなった。
この前後に語られるようになったのが、先に触れた、AI で消える仕事・消えない仕事 の話題だ。
明らかにコンピュータの方が効率的な分野はある。機械の方がうまくできることを人間がやろうとすれば、生産の邪魔になってしまう。わざわざそんなことを続ける必要はない。専門家として、コンピュータに勝てないことがわかりきっている分野もあるのだ。
そしてフラーはこう語る。
人間は生来の「包括的な能力」を復旧し、活用し、楽しむように求められているのだ
これは、フラーの思想全体に通ずるものだ。
人間は「包括的な能力」を生かし、「直感と知性」を使うことで
「より少ないものでより多くのことをなす」ようにしてくべきだ、と。
コンピュータと競う事は ただの無駄だ。わかり切っていると思うが、必要なのは共存だ。最近、世間を賑わしている将棋の藤井二冠(八段)が AI時代の棋士として話題にのぼっているが、まさに1つの共存の形だ。人間にしかない能力を活かして、争うのではなく、共存の道を選ぶ事が人間にはできるのだ。
人間・人類の役割については、第3部でもう少し細かく触れていく。フラーの根底に流れる思想を読み解きながらも、我々人間が何をなすべきか?を中心に、フラーが人類に託したものを見ていきたい。
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