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怠惰ノート2 機転

こんばんは、こんな記事でも二日目が出来ることに驚きですね!

最近ちょいとばかし答えが見つかった気がします。自分自身出会いに飢えて
いたのではない気がして来ました。

本日、異性の方とお話しする時があったんですよね。
とても朗らかな方で美しいんですよ。

何だか楽しくお話ししているだけで、自分自身満足している気がしました
良いことなんでしょうけど。こうやって記事を書いているときは、

とても孤独に感じます。何で何でしょうか。難しいですね。
話している瞬間はとても「幸せ」でした

幸せの定義について気になったので調べてみると

↓世界保健機関(WHO)より幸福の定義↓

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。

なるほどね…精神的と社会的に満たされると…
この基準に関しては自分で決めてしまって良い物なのだろうか…?

考えてみてほしい、ハードルを下げることはとても容易いことである。
たとえ、どのハードルを超える事が出来たとしても

精神的に満たされるという部分は、一生解消されない物だろう…
そう考えるから良くないのは重々わかっている。

けど自分にはうそを付けない、でもこれをずっと引き摺っても
社会のゴミにしかならない。どの様に割り切っていくのかを

考え出したら。感情のない人間になってしまうのではないかと
不安が残ってしまう。

声を大にして言っておく、感情の無い人間はカッコよく無いです
スカした態度を取ってる人なら尚更。

感情は素敵な物です。唯一みんな持っていて共感できる部分だと思います
て考えるとロボトミー手術は怖いもんですね。

でも廃人には興味があります。 何事にも悩まなくて良いなんて素晴らしい
じゃないですか。 無機質になりたい

そんなこと言うくらいなら黙れですよね。わかります。
自分自身の感情のコントロールはちゃんと出来たら良いですよね

結論をだすと、自分は人に振られやすいって事ですね

こんななぶり書きの記事を一ヶ月は続けてみたいですね。

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