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リコとリタ 余白と空間 生きる意味

 渡辺通を北上し、天神南の交差点を渡る時、自分の足元には天神地下街が広がっていて、ふとこの地面の下に、赤の他人が平々凡々とこの地下帝国を闊歩していると思うと可笑しく思う時がある。それは、集合住宅やビルでも同様かと言われると少し異なっていて、自分の見ている街を反転する形で、足元にもうひとつの街が存在するということに、不思議さと矮小なロマンを感じてしまうのだ。

 この地下帝国と地上の街並みの間には、車道にアスファルトを敷き詰めても耐えうるだけの余白の空間があって、地下帝国を維持するための空調設備や配管が張り巡らされているのだろう。その余白の空間が存在することによって生まれる地上と地下の景観の差みたいなものに、初めて福岡に訪れた際、とてつもなく魅了された。自分の知らない街が、地上だけでなく地下にもあることに高揚感を覚えたのかもしれない。今では福岡に住み慣れたことで、薄らとなってしまったそういう感覚を、いつか完全に手放してしまうかもしれないと思うと、背筋が凍るような思いをする。そう感情を失いたくないのだ。

 遡ること6年。高校生の時、日常は腹痛との闘いだった。ただひたすら同級生と喋ることで、大笑いを繰り返し、抱腹絶倒を絵に描いたような毎日を過ごしていた。やがて、大学に入学し、一人暮らしを始めると、孤独を覚え、大笑いすることはあれど、大笑いを繰り返し絶倒する、そんな経験が少なくなった気もする。

 何か大切なものを年齢を重ねるにつれて、どこかに置いてしまった。ひょっとしたら実家に置いてきてしまったのだろうか。そんな感覚、生温かくて、生臭い感覚を何処かに失くした感覚だけ強く残る。

 私は、今通っている大学を卒業できた場合、来年から社会人になる。新しいステップに行くと同時に、学生ならではが持つ感覚をもしかしたら失うのかもしれないとも危惧してしまう。社会人になったら、大学の入学時のように最初の数ヶ月は新しい環境や新しい人材に翻弄されて、高揚感と焦りと新鮮さをぐるぐるぐるぐる。そして、環境に慣れて、やっとまともに呼吸ができるようになった時に、ずっと掌に握りしめていたはずの何か大切なものをどこかで落としてしまったことに気付くのだろう。

 このように色々なものを落として、失くして、はたまた投げて、踏みつけて。そうやってどんどん角がなくなってきた状態を世間は「丸くなった」というのかもしれない。

何を失っているかはわからないし
これから何を失うかもわからないけど
新しい環境に飛び出して慣れた頃に
何かを失っている
そんな現実だけが色濃く残る

 というのも、中学生の頃の僕は、とにかくサラリーマンになりたくなかった。多くの人が抱えるであろうこういう悩みを打破するために、今迄の人生で努力をしてきたわけではない。YouTubeドリームと錦の御旗を掲げて、動画投稿に勤しんだわけでもないし、何者かになるために、愚直に行動を起こしたわけでもない。ただ、ただ、ただ、あんなに「サラリーマンになりたくない」、「俺は社会不適合者だから」と舌を巻いていたガキが、来年には当たり前にサラリーマンになると思うと、子供ながらに抱いていた感情や感覚というものを失ってしまったことを痛感する。

僕は今も一般人Aで、
来年からも一般人Aを続ける予定。
地球という大きな舞台のエキストラの1人。
いようがいまいが明日も地球は回り続ける。

 そんなことを考えてしまうと、生きる意味とは?という哲学的命題にぶつかってしまう。何か歴史に名を残せるような特技もなく、実力もない自分は、何に価値を見出して明日を生きればいいのだろうか。自分のために何かをやる、そういうことすら無駄に思えてしまう。いや、そもそも生きる意味とか考える時点で無駄で、そもそもそんなもの存在しないのかもしれない。

 ただ、今を生きていると断言できる自分ではありたいなとは強く思う。作業や仕事で徹夜をして、夜明け前に寝て昼頃に起きる時、外は当たり前のように煩くて、車のクラクションと人の話し声など街の音が立体交差する。その時に自分は社会の歯車に完全に巻き込まれなかった側だと感じてしまう。心臓から足に向かって血液が流れていて、心拍と同時にゆっくりと時計の針が動いていく。取り残されてしまったんだ。





例えばの話、たとえば、たとえばだけど。

これから僕は社会人になる。

毎朝、早起きをして、歯を磨いて、服を着て、眩しい朝日に打たれながらオフィスに向かって、会社の人に挨拶して、上司に挨拶して、同期に挨拶して、先輩に挨拶して、乾いた笑い、乾いた笑い、乾いた笑い。

カタカタカタカタとパソコンを動かして、会議へ、会議へ、打ち合わせへ、会議へ、会議へ、発表、発表、業務報告、業務報告。

必死に時計の針を目で追いかけて、定時だ、定時だ、さあ帰宅、さあさあ帰宅帰宅。

嫌だ、嫌だ、飲み会なんて行きたくない。
媚び諂って、乾いた笑い。
でも、ちょっとだけ君は好き。
少しだけ語ろう。
上司の悪口を言おう。
君のことはちょっとだけ好きだけど。
僕にはもっと好きな人が会社の外に沢山いる。
帰りたい。
逃げたい。
あ、でも少し面白そう。
一次会だけだよ。
ついていく。ついていくよ。
ああ、仲良いあいつは今何しているんだろう。
次に会えるのはいつなんだろう。

電車に揺られて、家のドアを開ける。
家の内側から鍵をかけた音が聞こえた時
自分はどんな顔をしているんだろう。
荷物を置いて、風呂に入る。
社会からの脱皮。脱皮。脱皮。

明日も7時に起きる。
起きれるかな、起きれるかな。
体が慣れている。
血液がぐるぐるぐるぐると体を巡って
飽きもせずに心臓は動き続ける。
瞼を閉じる。

旅行に行きたい。
仲良い人に会いたい。
心ゆくまで笑っていたい。
喜怒哀楽を十二分に体で感じていたい。
体全体で美術を芸術を味わいたい。
オーロラを見たい。
ああ、逃げたい。逃げたい。
金曜日はまだかな。
金曜日はまだかな。
金曜日はまだかな。

仲良いあいつが転勤した。
少しじゃないだいぶ遠い。
嫌だ嫌だ。ああいやだ。

仲良いあいつが結婚した。
少しじゃないだいぶ遠い。
嫌だ嫌だ。ああいやだ。

青春はちゃんと青春だったんだ。
僕は死ぬまであと何回あいつに会うんだろう。
時間は有限らしい。
でも無限って思っていたい。

遠くの誰か、近くの誰かのために仕事をする。
社会人だ。必死に歯車を回す。みんなすごい。
本当にすごい。

遠くの友達と近くの一般人と。
環境がガラリと変わる。
体がボロボロになる。
老いていく。
多分、多分だけど、生きる意味を他人じゃなくて自分に見出さないとダメなのかもしれない。
絶望しちゃうかもしれない。
でも仲良いあいつと笑うために頑張る。
それもいいけど、時間が無限にあったらなあ。

誰かのために自分がいる。
自分のために自分がいる。
僕は、誰かの相談に乗って、
感謝された時に初めて生を実感するんだ。
そうだ、そうだ、誰かのために何かをすると
誰かの人生に僕がいる。
誰かの記憶に僕がいる。
独りよがりの自分が初めて解放される。
そうだ、そうだ。
マイフレンズ!マイジェネレーション!
コミュニケーション・ジェレーション!

チクタクチクタクチクタクチクタク
時計の針が進んでいく。
さてさて、僕は今日も一歩一歩死へ向かう。
ドクドクドクドクドクドクドクドク
心臓の拍が鳴り響く。
さてさて、僕は明日も一歩一歩生き続ける。



 西鉄大牟田線の電車を降りて、いそいそと街へ繰り出そうとしても、毎度、天神バスセンター前の大きな交差点で信号が変わるのを待っている気がする。目の前には多くの車が走っている。こんな大きな通りでは信号無視なんてしようものなら、挑戦者だ。簡単に命が吹き飛ぶ可能性を秘めている。

 やけに今日の信号は長い気がする。8月11日。気温は33度。しっかりと地球温暖化の深刻さを体感しながら、ふと地面に目をやる。この天神という街には天神地下街という大きな地下街がある。たかだか数十メートル先に向かうため、道路を渡るためだけに、地下へと赴く。地下帝国は、太陽光は完全に遮断されていて、空調も整備されているから、軽くショッピングモールに入った気分になる。地下へ降りて、また上がって、本当だったら、信号を素直に待っていた方が早く対岸に着けたのかもしれない。でも、今日の信号はやたら長かった。だから仕方ない。

 目的地を最短経路で向かおうとしても、ひょんなことから経路を変えたりすることはよくある。それは信号待ちの時間を感じたくないからかもしれないし、日向にずっといるのが耐えられないからかもしれない、都度、臨機応変に経路を変えながら、僕たちは自分なりの最短経路で目的地へ向かう。自分の中に抱く物事の最適解なるものは都度更新されるものであり、たとえ間違っていたとしても、自分なりにそれを最適であると信じ続けていくしかないのかもしれない。

 明日何をする、今日何をする、1時間後何をする、1分後何をする、これから何をする。死に向かうにあたって多くの選択肢があって、大きな樹木みたいになっていて、それはこれからの自分の行動に完全に紐付いている。信号を素直に待っていた方が早く着いたかもしれない。あの路地を左に曲がっていたら早く着いたかもしれない。

 雑居ビルの駐車場に、ずっと停まっている白い軽トラックがある。軽トラックの下からフラリと野良猫が出てきて、僕と目が合うと逃げていった。使い古された雑巾を絞った時に出る濁り汁のような色をした尻尾を、必死に振りながら走って逃げていった。猫は僕に何を思って逃げたのだろう。食べられると思ったのだろうか、襲われると思ったのだろうか、それとも自分のテリトリーを守りたくてしょうがなかったのだろうか。考えてもしょうがないのだが、野良猫を目で追っている間に時は過ぎて、少しだけ待ち合わせに遅れてしまった。

僕は今も一般人Aで、
来年からも一般人Aを続ける予定。
地球という大きな舞台のエキストラの1人。
いようがいまいが明日も地球は回り続ける。
けれど、あの日あの場所で僕は野良猫を見た。

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