見出し画像

どけよ、自意識。邪魔なんだよ

自分は性格が悪いらしい。

悪いというよりもむしろひねくれていて斜めに構えているらしい。知らないけど

自分もこれは自覚している。このひねくれも全て自分の「自意識過剰」が原因なのであると思う。


それが理由で出来ないというか、正確には恥ずかしくて出来ない事象が日常生活には沢山ある。

「人見知り」もそこに原因があるのかもしれない。

大学の新歓コンパでは同級生は新入生に「出身はどこ?」と話しかけ話を弾ませている。心の底からどこでもいいマジで

でも聞けない理由は「イキって新入生話しかけて自分の予想の斜め上の回答が来た時に慌てふためく自分」を見られたくないからだ。

また、同級生に「頑張って新入生と話している自分」を見られたくなくて、新入生と話せずにいる。

下を向いて1人で過ごしている中で、新入生と盛り上がって「マジでーー!!!」と声をいつもより高らかにして新入生と話す同級生を見て窒息しそうな思いになる。

俺は恥ずかしくて耐えれないからそんなことできないや。。。

それもあって新入生とかはじめて会う人が大勢といるような場所には極力参加しないようにした。

これの原因も全て自分の持っている「自意識過剰」だ。
自分を棚に上げて自己防衛している。本当にダサい生き様。
頑張っている自分を客観的に見ると恥ずかしくなってしまう。

そのせいで弊害が大きい

例えば、おしゃれな美容院に行けない。

美容師に「うわ、めっちゃかっこよくなろうとしてるじゃん」って思われたくないから「ボリューム減らす感じでお願いします。後は任せます」としか言えない。

髪を切り終わった後に「セットされますか?」と聞かれても「うわ、こいつキメようとしてるじゃん」と思われたくないので断るしかない。

美容師に自分のこと聞かれても自分の人生に自信がないから「架空の自分」を装って話している。美容師は自分のことを「東京出身の独り立ちしたくて九州に来た西南の商学部の3年」だと思っている。

本当は違うのに。生きづらいな。

スタバで意気揚々とMacを広げてフラペーチのを飲む人を見てすごく恥ずかしくかわいそうに思える時があると友達が言っていた。

もし自分がやってるところを想像したらすごく悪寒する。恥ずかしくて死にたくなる。

自分を客観的に見てくるこの「リトルめる」的なもののせいで人生が楽しめなくさせている。

この「リトルめる」が自分の人生の楽しみにブレーキをかけてくる。

前回でアクセルを踏んでいても脳裏にふと「客観的な自分」が映し出され、エンストしてしまう。

本当に災難だ。

「リトルめる」がいると人生を最大限に楽しめない

アクセル全開でなく、この半クラ状態の自分が嫌になる。

人生を楽しむためには「リトルめる」からの脱却が必要になってくる。

高校生の時からこれに悩んでいたが、唯一「リトルめる」から逃げることのできる術を身につけた。

それが「誰も知らない土地に行くことだ」

1人で海外に行ったり、1人で知らない土地に行くと「誰も周りに自分のことを知らない状態」が担保されるからだ。

思えば、自分の「リトルめる」はもしかしたら知り合いがいるかもしれないと言った「自意識過剰」が引き起こしているのだ。


小さい頃から目立つことは嫌いなのに容姿で目立つことの多かった自分が「リトルめる」を作って自己防衛していたのだ。

だから自分は死ぬまで「リトルめる」とともに生きていかなければならない。

だから「リトルめる」から逃れる術を見つけた俺はすごく嬉しかった。

知らない土地でスタバのフラペチーノの「グランデ」を頼んでやった。

ミルクを豆乳にしたし、キャラメルソースをトッピングしてやった。

ざまあみろ。めちゃめちゃおいしいい!

「今度、福岡でもスタバでそれ頼んでよ」

「やだね」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?