この道の先でまた
防弾少年団の三兄。
そう、今日は彼のお誕生日。
希望の世界を見せて
6年前、ホソクさんが「僕の名刺代わりに」と差し出したのはこんな曲だった。
ぎょっとするような、残酷で尖った言葉はどうしたってパワーを持つものだ。刺激に飢えた現代の人々の目を惹きつけるには十分すぎるほど。
だけどこの時、「僕はそんなもの使わずに歌ってみせるよ」とホソクさんは笑った。彼自身の飾らない言葉で訴えてみせると。
世界の欠けた部分に自身をはめ込もうとすること。心の中に、信じられるものを持っておくこと。ホソクさんが教えてくれたこの道の歩き方。
ただ給料日の封筒に手を伸ばすみたいに頭を空っぽにして、私たちは彼が見せてくれるHope Worldを享受する。
平和のひとかけらに
どうしてホソクさんは、自分が平和の一部になれたらいいのにと願うんだろう。
私事で恐縮だけれど、この間、生まれて初めてデモに参加した。停戦と書いたプラカードを掲げながら、一緒にいた人たちと一緒に、虐殺をやめてと訴えた。
だけど。
これは本当に正しいことなの?ただの自己満足ではないの?戦場からこんなに離れた場所で、声を上げることに果たして意味はあるの?
こういう時、ホソクさんに聞きたくてたまらなくなる。
あのねホソクさん、私も平和のために何かをしたい。だけどこれで合ってるのかな。
ホソクさんの言葉が軽やかで優しいのはきっと、彼自身も、これまで何度も挫折や苦しみをくぐり抜けてきたから。
名前も顔も知らないような海の向こうの友達の、その心の痛みまで分かち合えれば、私たちだって平和を作り出せるはずだ。
平等を歌うということ
ソロ曲では恋愛を歌わず、人間愛や平和をテーマに選ぶホソクさんのやり方が、なんだか好きだ。
この曲は'P.O.P pt2'でもあると話していたけれど、今の世界にはこういう歌が確かに必要だから。
「僕たちはもっと世界に関心を持たなきゃいけない」
聞くたびに背筋を伸ばしたくなる、そんな歌詞だ。
これは私の持論だけど、相手を怖く感じる時というのは相手のことをよく知らない時なんだと思う。
例えば、あの国の人たちはいつも早口で怒ってるみたいと感じるのはその国の言葉をよく知らないからだ。でも、その国の歌を聴きその国の人と話してみると「なぁんだ、私たちとおんなじだね」ってきっと思える。
あなたはどう?どんなことに痛みを感じ、どんなことに幸せを感じる?
そうやって相手を知ろうとすることが、そのまま相手への愛と敬意に変わるから。
未来に向かって
「ああ、僕にも勇気と信念と希望が欲しい。必要なんです」
そう言ってダンサーの方達の笑いを誘っていたホソクさんを思い出す。
「…それがあれば1つ成長できるかも。次のステップへ」
そう話すホソクさんは、もう笑っていなかった。考え込むようなその真剣な面持ちは、じっと自らの未来を見据えている表情にも見えた。
今まで何度も大きな舞台に立ってきたホソクさんでも、ロラパルーザでは、かつてないほどの大きなプレッシャーに襲われているみたいだった。
ホソクさんは強いからそのプレッシャーをはねのけたんだ!そんなふうに考えるのは少し違う気がする。
舞台に立った瞬間の彼を見て思った。はねのけたんじゃない。緊張も焦りも恐怖も、それらを感じている自分自身をも受け入れて、全てを抱きかかえたまま舞台に上がったのだと。恐れすらも自らを奮い立たせるエネルギーへと変えて。
ホソクさんにはそういう、しなやかな強さがある。
数えきれないほどしてきた「I'm your hope」の挨拶に、その底抜けに明るい笑顔の裏に、どんな切ない思いがあっただろう。
彼自身の未来にも、きっと同じ言葉が必要だったはずだ。
未来へと進むために必要なのは、勇気と信念。
とってもホソクさんらしい言葉だ。
2年前、きらきら輝く未来たちと一緒にこの歌を歌っていたホソクさんは、本当に綺麗だった。
この道の先でまた
Hold On, Pain Ends.
単語の頭文字を取って、H.O.P.E。
あと8か月、待ってて。
その日まで私も、私にできることをするから。
世界を知ろう。ホソクさんの歌を聴こう。
希望を抱いて、平和のかけらになろうとし続けよう。
その先もずっとこの道を、ホソクさんに倣って生きていこう。
生き方に惚れ込んだ、はじめての人だから。
お誕生日おめでとう、ホソクさん。幸せがたくさん訪れますように!