名付けと量子論って似てないか
「量子論」の何が凄いかというと、
人の意識が物理的に作用するという事と
その量子の振る舞いは距離と時間を遙かに
超えてしまうということだ。
宇宙の果てまでの距離でも間髪を入れず伝わる。
この論の難解さは天下一品で、日常の感覚とかけ離れていて
取りあえず、次元が違うと納得するしかない。
テレビで一時期、手を触れずに念力で
目の前の鉄の棒を曲げてしまうなんていう
超能力の番組が流行ったことがある。
曲がれ!という強い思いで物理的な作用が起こる、
その不思議さに目を見張った。
あれは巧妙なトリックだったのか、
はたまた量子力学だったのだろうか。
ただ、我々の身体を含めて目の前のあらゆる物質は
いわゆる「次元のちがう素粒子」である
量子から出来ているという厳然とした事実の前に
量子力学が示す怪現象は現実であり
ただオロオロするばかりである。
突き詰めてみると、この世は名と数で出来ている。
夕暮れに人影があり、誰だかわからない。
「誰だ?」と問うと「アキラだよ」
「なんだ、お前か」と名を名乗ると判る。
「名」とはまさにそのように作られた漢字で、
夕暮れの夕と呼びかける口の組み合わせになっている。
棒の先が小さいヘラになっていて、
もう片方の先には毛玉が付いている。
これを見たことがない人にとっては
名前が解らないので気にも留めない。
耳の痒みを散らす道具で耳かきだと教えると、
その後は「耳かきを持って来て頂戴」と
頼めば応えてくれる。
名前が解らない時は「物」が目の前にあるのに
意識に上らない。
このやり取りは、量子の振る舞いに似てないか。
無秩序にある状態が、人が意識を向けると即座に
秩序を見せるということだ。
量子論のボーアと、かのアインシュタインが
夜空を見上げながらの問答は有名だ。
ボーアは「君があの月を見るまでは、
月は存在してないんだよ」
アインシュタインは「そんなバカな!」
なんだかわからない存在に
人は片っ端から名前を付けてきた。
今でも毎年、世界中で新語が生まれる。
物や概念に名前が付けられて認識が広がっている。
人類の知的進化とは「名」の増殖のことか。
それにしても我々は何も知らない「ワンダーランド」に
住んでいるのかと思うと、胸がムズムズと痒くなる。
痒みが散る耳かきならぬ「胸かき」が欲しいものだ。