花笑む石神井川のさくらたち
天気がずっとぐずついていて、さくらの花見が
のびのびになっていた。
今朝は、やっと日差しが戻って家内と自転車に
乗って毎年恒例の「石神井公園往復桜づくし
サイクリング」に出掛けた。
満開を過ぎて緑の若葉が出始めて、川面には花びらが連なる。
祭りの後の侘しさも感じながら、遅咲きのさくらを選んで
視界一杯に溢れる染井吉野の薄桃色を満喫した。
「見るは法楽」ということわざがある。
仏教の教えを広めるために歌舞音曲で人を誘うことを法楽という説と
仏法に励み極めた先に見えてくる楽しみという説がある。
迷うことなく、後者の説を採りたい。
五感の中で視覚の情報入力が8割を占めているそうで、
確かに人の楽しみの多くは見ることと云えるだろう。
遠方へ景色を見に行く、美術館へ行くから、
お金と暇をものともせず世界を見て回る人もいる。
家内が花びらの舞う川辺を見つめながら
「花いかだ・・・」と一句ひねり出そうとした。
流れ流れて・・・、流れのまにまに・・・。
「お母さんが歌人だったにしては、すんなり出ないね」
とからかうと、「じゃあ自分ならどう詠むの?」
とさっそく反ってきた。
花いかだ 花粉症で 鼻いかが。
馬鹿にされるかと思いきや大受けに受けて笑ってくれた。
花が咲くことを笑うともいう。
花笑むといい、万葉集の中にしばしば登場する。
山笑うと云えば、春が若葉を誘い一気に活気が戻った景色を
表す大和言葉の巧みである。
お花見道中、ずっと笑い顔をしていたらしく、
頬がうっすらと筋肉痛になっていた。
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