名曲なだけに哀しい
八月になると、ブラジル音楽をこよなく愛する日本人でも
おやっと首を傾げたくなる曲があります。
とても美しいメロディなだけに戸惑います。
題名は平和(A Paz)でジルベルト・ジル(Gilberto Gil)の曲です。 この人はブラジルで、新しいスタイルの音楽トロピカリズモを
進めた一人で、有名なシンガーソングライターです。
そして5年間文化大臣を務めた政治家でもあります。
ボサノバ歌手の山本のりこさんの翻訳を参考にして歌詞を紹介します。
平和という言葉が、突然心のなかに入り込んで、
頭を平和でいっぱいにした。
まるで台風の風が足元をすくうように、
僕はもう地に足がつかなくなってしまう。
僕が目指す平和が海を越えて侵された、
あの大きな爆発のように。
日本に落ちた爆弾が日本を平和にしたように。
僕は僕のことを思った、僕は君のことを思った、
僕は僕たちのために泣いた。
なんという矛盾、戦いによってしか、
僕らの愛は平和に保たれないなんて。
僕はやってきた、岸辺のほとりで休もうと、
そこで道は終わっていた。
夕暮れ時、リラの紫色の波が僕に向かって砕ける。
たくさんの「ああ」という嘆きの声が聞こえる。
歌詞を読んで直ぐに広島と長崎の原爆のことだと気付かれた事でしょう。
地球の裏側の遠いブラジルでも、原爆によって日本が降伏して
平和になったというのが常識になっています。
アメリカの元大統領のハーバート・フーヴァー著
「Freedom Betrayed /裏切られた 自由」が50年の歳月を経て
封印が解かれ、2011年に出版されました。
その中でルーズベルト、トルーマン大統領の原爆投下について、
「アメリカの歴史において、アメリカ人の良心を永遠に
責め苛むものである」と記しています。
アメリカは日本が一向に戦いを止めないので、やむなく原爆を
落として終わらせたという、まるで原爆を平和の使者のように
世界に喧伝し、世界はそれを定説にしました。
私が中学生の頃、先生は日本が適切に降伏を示さなかったから決定打として原爆を落とされたので、日本側に非があるように教えていたくらいです。
事実はそのような事ではないことをフーヴァーさんは解き明かしています。
アメリカにとって不都合な内容ばかりで、これでは公表されなかったことは容易に理解できます。
日本があの時代に開戦せざるを得ない事情があれこれと語られています。
南方の占領地で連敗を積み重ね、東京をはじめとする都市大空襲、
沖縄陥落と既に日本は戦闘を継続することができないことは明らかでした。 1945年5月頃には日本は和平の意図を世界に示し始めました。
ところが英米はこれを無視しました。
日本政府は日ソ不可侵条約先のソ連を頼みに仲介の依頼の交渉に
入りましたが、弱り切った日本を見て、これ幸いに逆に対日宣戦を
言い渡されてしまいました。
行き場を失っていた8月6日広島で、三日後の9日に長崎で、ついに原爆が投下されました。
フーヴァーさんは、原爆なしに日本を降伏させることはできた筈だと
論陣を張ります。
元はナチスドイツの原爆計画に対抗して、苦労して完成させた
新型の爆弾なので実際に使ってみて、その破壊力と人的な被害が
どれ程のものか確かめたいという冷酷な欲求は、
当の科学者にも軍人にも政治家にも強くあったといいます。 また、戦後の世界の勢力図を見渡して、アメリカが超越した軍事大国で
あるためには、原爆の威力を世界に見せつけなければならないという
意図的戦略に祭り上げられてゆきました。
広島の原爆はウラン型、長崎がプルトニウム型と二つのタイプの原爆で
冷静に実験をしたのです。
広島に友人を訪ねた時、原爆の被害を調査する施設があれだよ、
と指さされた先にアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)の大きな
施設がありました。
これを見ても戦争に勝利するという目的から原爆人体実験へと
変質して行ったことは明らかです。
大手民間調査機関のピュー・リサーチ・センターが2015年に行った
「原爆は正しかったのか?」の世論調査では56%のアメリカ人が
正しいと答えました。
戦後直ぐの調査では1945年に85%が正しかったとし、1991年には
それが63%に減ってきています。 このフーヴァーさんの本が読み広まると、更に原爆投下が正しかったという常識は萎縮してゆくものと思われます。
お小遣いを貯めて立派なナイフを手に入れたら、野に出て草を刈り、
虫を殺し、蛙を切り刻みたくなる、これは男の子に備わった本能です。
その同じ男の子に絵筆を持たせると美しい大自然の絵を描くでしょう。
やっぱり平和のためには、武器を憎む風潮を醸成させて
行かなくてはなりません。
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