後世に心地よい響きをあげたくて
先月のWBCの余韻が尾を引いて、テレビも新聞も
大谷翔平の名前が踊っていたが、
坂本龍一の悲報が伝えられるやいなや
ガラッと報道の色が変った。
同世代のミュージシャンだから、都度都度、気になっていた。
当時、ブラジルからやって来た
セルジオ・メンデス・ブラジル66に心酔していたので、
YMOのテクノサウンドは好きになれなかった。
それでも、ワールドツアーの成功から帰ってきた頃だろうか、
どういう風の吹き回しかコンサートに行ってみた。
ステージはナチスドイツ風で、三人とも軍服を着て
客席を威圧するように睨み続けた。
これはパロディで、どこかで落ちがあるのかと思っていたが、
そのまま終わった。
この時からYMOから離れた。
スネークマンショーのレコードを買ったが、
わざわざYMOの演奏を飛ばしてコントだけを
カセットに編集して聴いていたくらいだ。
ところが2001年に坂本龍一が「CASA」という
CDを出してから俄然、注目するようになった。
1994年に亡くなったアントニオ・カルロス・ジョビンの
家に行って、ジョビン愛用のピアノで、ジョビンの名曲を
モレレンバーグ夫妻と共にカラフルなオーガンジーに織り上げた。
このアルバムは、どれだけ称えても足りないくらい素晴らしい。
ジョビンへの最大限の敬愛が惜しみなく表われている。
「天才、天才を知る」のである。
坂本龍一は、幼少の頃、青梅街道近くに住んでいて、
車道の車の切れ目を狙って、走って渡った事があるそうだ。
道路の向こう側に何があるのか、止むに止まれぬ好奇心に
突き動かされた。
一つの音楽ジャンルに止まらないミュージシャンだった。
ジョビンに友人が、何をしたいのか訊いた。
「銅像を造るように後世の人たちに音楽を彫っているのさ」
坂本も後世への眼差しが強くあった人だった。